大吉さんは少年時代は正義感が強く、運動ができて、勉強も普通より上。運動会では応援団長を務めるほどリーダーシップがあったそうです。なにかしらのコンプレックスを抱き、挫折を経験しそうな子どもには見えません。
ではそんな少年が、どうして人生でどん底とも思える浪人を三度も経験しようと思ったのでしょうか?
そこには、大吉さんの負けず嫌いの性格が影響したそうです。
「ずっと人に負けたくないと思っていました。その性格のおかげで僕は小・中学校で目立っていたので、高校でも『人と競って勝ちたい』という思いがありました。僕が行っていた高校(さいたま市立大宮西高校※現在は閉校)は、一般受験が少なくて学年で1割。日東駒専(日本、東洋、駒沢、専修の各大学)に行けたらすごいと言われる学校です。だから部活(野球部)が終わってから、今度は受験で上を目指して、周囲から褒められたいと思ったのです」
そう意気込んで、日東駒専よりも偏差値が高い法政大学を第一志望にして勉強をするも、現役の時はセンター試験では3教科で5割に終わり、一般入試では日東駒専を含めて6学部受けて6学部落ちる結果に。
「元々現役で受かるとは思っていなかったので、より高い次元を目指して浪人しました」
そう考えていた大吉さんは、あっさりと浪人を受け入れ、志望校をさらに上げて、早稲田大学を目指し、1年過ごす決意を固めました。
努力と結果の乖離に悩んだ浪人生活
1浪目は勉強一色で過ごした大吉さんは、その甲斐もあって前年度に落ちた日東駒専レベルの大学に合格。現役生の時から比べたら立派な結果を出しました。
それでも、どうしても自分の中で納得がいかなかった大吉さんは2浪を決断します。
「1日15~16時間、ひたすら机に張り付いて勉強した。それぐらい人生をかけて向き合ってきたのに、求めていた結果とはかけ離れていたのです。だから、親から渡された合格した大学の入学金の振込用紙を『行かねぇ』と言って破り捨ててしまったんです。今思えば若かったし、親にも申し訳なかったですね」
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