スマホ普及で私たちの「孤立」と「孤独」が失われた 「追悼式」なのに彼女がスマホを触っていた理由

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例えば、こんな光景はありふれたものでしょう。対面で誰かと話しているときに、スタンプと短いテキストで4人にLINEを返し、フリマアプリが表示してくるお知らせをスルーして、早送り機能でソシャゲのストーリーを進め、Twitterでいくつかの記事を熟読せずにリツイートし、Instagramで気に入ったインフルエンサーの薦める服を保存しておく。

ここで失われているのが〈孤立〉です。何か一つのことに取り組み、それに集中するにはあまりに気が散っていて、いろいろなコミュニケーションや感覚刺激の多様性が、一つのことに没頭することを妨げてしまっています。

ここで念頭に置かれている「〈孤立〉の喪失」は、マルチタスキングによる注意の分散のことであり、これは、メディア技術が可能にした「アテンションエコノミー(注意経済)」の一つの帰結でもあります。

アテンションエコノミー(注意経済)とは?

インターネットでは、広告や利用者の囲い込みなどをベースに成り立っているビジネスが多いですが、アテンションエコノミーは、そうした環境で成り立つ経済のあり方のことです。具体的には、情報の内実や質よりも、人の注目それ自体が価値を持つことを指しています。

アテンションエコノミーにおいては、コンテンツ、広告、製品、サービス、ウェブプラットフォーム、オンラインサロン、YouTubeチャンネル、インフルエンサーなどのいずれも、どれくらいの人がそれに注目し、クリック数や購入者数、登録者数、売上などがどれくらい具体的に動いているかという、数量的な「動員」(エンゲージメント)こそが問題になります。

あらゆる人間やイベント、商品などがアテンション(=注意)を奪うことに最適化していて、それらが私たちの注意を奪い合うだけでなく、私たち自身もSNSの発信を通じて、そうした注意を奪い合う競争に参加しています。

こうした消費環境は明らかに注意の分散に貢献していますが、別に企業や技術だけのせいでもありません。私たち自身が、日夜スマホを通じて注意を分散させる試みに喜んで参加していることを進んで認める必要があるでしょう。

スマホを触りながらの対面コミュニケーションでは、相手の会話は薄く聞くだけ、小難しい内容は無視する、何か聞かれたら生返事、そんなやりとりが関の山でしょう。こんな環境で、「消化しきれなさ」「モヤモヤ」「難しさ」の類を抱えておくなんてやってられないとしか思えないはずです。

残念ながら、注意の分散によっておろそかになるのは、対面のコミュニケーションだけではありません。マルチタスク的に処理しているあらゆることが、同時並行している分だけおろそかになっています。漫画を読むことも、電話をすることも、音楽を聴くことも、誰かとテキストをやりとりすることも、全部です。

さらに悪いニュースとして、タークルが危惧する以上のことが起こっています。つまり、スマホを通じて注意を分散することに慣れた私たちは、スマホを使っていないときでさえ、気もそぞろで対面のやりとりをしているらしいのです。

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