「スタバでフラペチーノを買うのは何のため?」、無理してテンションを上げる現代人。哲学者が考える"常時接続の世界"「しんどさ」の正体

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スマホを触る女性
「スマホを常に触ってしまう」「誰かとつながっていないと不安」という人が増えています(Graphs / PIXTA)
スマートフォンが普及した現代社会は「常時接続」が当たり前。情報が無限に手に入り、誰とも簡単につながれる一方、不安や退屈、寂しさを抱えている人が増えています。
「ちょっとでも時間があるとSNSを見てしまう」「気づいたらぼんやり動画を眺めている」「人の話を聞きながらでも、ついスマホをいじっている」……、そんな行動に思い当たる人も多いのでは。
スマホが日常を支配する現代において、私たちが失いつつある「孤独」の価値を見つめ直し、情報過多の時代をどう生きるべきか。
哲学者・谷川嘉浩氏による新著『増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険』から一部を抜粋、再編集して考察します。

「行動的な人」の価値を疑ったパスカル

数学者としても著名な17世紀フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは、死後に出版された『パンセ』という本で、「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだ」と言っています。

例えば、「社交や賭け事の気晴らしを求めるのも、自分の家に喜んでとどまっていられないというだけのことだからである」。

そもそも、人間は何か取り違えた生き方をしている、虚しい生き方をしているとパスカルは考えていました。そうは言っても、「積極的に行動し、進んで人と交流を持つことは虚しい」なんて断言されてもピンときませんよね。

現代の感覚からすると、「行動的ですね」「活動的な人だ」と言われたら、なんとなくうれしくなる人が多いはずです。その価値を、パスカルはどうして疑ったのでしょうか。

熱烈な野球ファンを例にしましょう。この人は、自分の応援するチームが勝つことに自分の幸せがあると思っています。自分の応援するチームを必死に応援し、勝ってほしいと心の底から望み、監督でもないのに選手の布陣についてあれこれ議論して時間を費やしているはずです。

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