これは昔の話ではありません。1990年代の米国でネット上を賑わした「デスプール」は参加料を払い、亡くなりそうだと思う有名人のリストをネット上にアップし合います。そしてもっとも正確な予想をした者には、その順位に応じて賞金が支払われました。このように、時代は変わっても人間はいつも賭け事が大好きで、それがおもしろければ他人の死までもその対象にしてしまうのです。
生命保険とデスプールの違いは?
このデスプールと生命保険は、どこが違うのでしょうか。デスプールは「ヒトの死」を対象に参加料を払ってゲームに参加します。生命保険は、保険料を払って「ヒトの死」についての契約を交わします。どちらも「ヒトの死」を対象にし、おカネを払ってこの仕組みに参加します。そして、いずれも対象となったヒトが死ねば、賞金あるいは保険金が支払われる約束事である点ではよく似ています。
でも、どこかに違いがありそうだと、あなたは直感的に感じているはずです。よく考えていくと、それは道徳的な違いであることに気づきます。デスプールは賞金目当ての賭け事ですが、生命保険は残された遺族のための生活費を目的としているのです。だから、ロイズコーヒー店やデスプールに漂う生理的な不快感は、生命保険には感じられないのです。
しかしそれでは、賭け事と生命保険を隔てる道徳的な境界線とはいったい何でしょう。人々が直感的にはわかっても、これを明確に線引きしようとすると、実は簡単ではありません。近代的な生命保険が誕生しようとしていた18世紀の英国では、このことが大きな問題でした。なぜならば、道徳的な違いを除けば両者に何の違いもないことはロイズコーヒー店の賭博保険を見れば明らかだったからです。
どのようにして保険を賭博から峻別するか。この問題を解くことなしに近代的な生命保険の誕生はありえませんでした。
「人間の命は商取引の対象ではない。死が博打や投機の対象となるのはおぞましいことだ」
18世紀の欧州大陸ではこのように考えられていました。ですから19世紀に入るまでの欧州大陸には生命保険会社が存在しませんでした。ところが、産業革命を背景に大英帝国の覇権を世界に拡げようとしていた英国だけは例外でした。7つの海へ乗り出すための海上保険、勃興しつつある労働者階級への生命保険の整備が必要不可欠だったからです。
ロンドンの一般市民が人の死を賭けの対象とすることに嫌悪感を募らせ始める一方、18世紀半ばを過ぎ、ようやく生命保険は一家の大黒柱が家族を窮乏から救うための社会性にかなったものだ、との考えが認知されつつありました。そして1774年、英国で最初の生命保険法(通称「賭博法(Gambling Act)」)が制定されます。この法律により、初めて生命保険は法的に賭博から遮断され、道徳的に正当な商取引であると世間に認められました。
ここで新しい概念が登場します。賭博と保険を線引きする「被保険利益」という考え方です。
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