「被保険利益」とは、保険の対象となる人(被保険者)、たとえば夫としましょう。その夫が死亡することで妻が失うであろう利益のことです。夫の死亡によりこれまで入ってきた夫からの収入が断たれてしまいます。これが妻にとっての「被保険利益」なのです。
生命保険法により、「被保険利益」がない場合、保険として認められないことになりました。英国ではその後の判例により、原則として自分自身にかける保険と夫婦間の保険以外は生命保険として認められなくなりました。そのほかの場合には被保険利益があることを立証できないかぎり生命保険として認められません。こうして「被保険利益」の導入により、初めて生命保険は賭博から峻別されることになったのです。
米国で生命保険が認められたのは19世紀になってから
一方、米国では生命保険の道徳的な正当性が社会に認知されるのにかなりの時間を要しました。火災保険や海上保険の保険会社は18世紀には設立されていたものの、生命保険が正当なビジネスとして認められたのはなんと19世紀に入ってからのことです。このように「死を扱う」生命保険には文化的な嫌悪感や、道徳的な抵抗が根強く残ったのです。
生命保険は誕生した時から2つの側面を持っていました。お互いの安全のために死のリスクを分かち合う面と、死を対象とする不健全な賭けという面です。この2つは生命保険というコインの両面です。表がでるか裏がでるかがわからない不安定さを絶えず抱えています。
だから黎明期の生命保険業に携わった人たちの崇高な理念があってこそ、初めて生命保険は世間に受け入れられるような商取引となっていったのです。
ところが、時を経るにつれ、生命保険の意味と目的が変わっていきます。「被保険利益」の鎖で縛りつけられていた生命保険の「賭博性」が、その後の保険の変遷の中で再び息を吹き返し始めています。特に、生命保険の商業化が飛躍的に発展を遂げた米国でその動きが顕著です。20世紀に入り、それまで厳格に定められていた被保険利益の定義が、徐々に拡大解釈され始めます。他人(と思われる人)の死にも簡単に保険かかけられるようにルールが緩められ始めたのです。
現在、米国の多くの州では、企業が従業員に保険をかけることが許されています。従業員の知らぬうちに企業が従業員に保険をかけているのです。そして従業員が死んだ場合に支払われる保険金は企業に支払われますが、多くの場合、企業から遺族に支払われていません。
企業は、「死亡した従業員にそれまで投資(教育、研修)した費用を回収するため、後任者の採用コストを捻出するため、だから被保険利益は存在している」と説明しています。保険業界も多くの人はこの保険が企業と保険会社間の商取引である、従業員が何らコスト負担していない、従業員はこの保険取引の当事者ではないことから、容認すべきと考えています。
日本でも1980年代に同様な保険取引が見られました。知らないところで、企業が従業員に多額の保険をがかけていました。米国の場合とは違う仕組みでしたが、やはり世間から問題視され、不適切であるとの行政判断により結局は規制された経緯があります。
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