ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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ライフが成長すると、清水氏は先輩格の中内氏と酒を酌み交わし、流通革命第一世代のライバル同士として議論をする機会も増えた。だが、基本的な考え方は異なっていた。ダイエーの経営破綻につながる原因の1つとなった急激な規模の拡大、多角化に清水氏は否定的だった。また、後継者選びでも結果的に世襲を志向したと言われている中内氏とは考えを異にした。

清水氏も当初、後継者として親族を登用しようと考えていた。1982年2月、ライフコーポレーションが大阪証券取引所(大証)2部に上場したのを機に、清水氏は後継社長として実弟・三夫氏を任命し、代表取締役会長になった。

三夫氏は、創業以来、苦楽を共にした最も近い部下である。それだけに、周囲にとっても納得性の高いトップ人事だった。三夫氏は、就任して最初の1年ぐらいまで清水氏に経営状況を報告し、重要な意思決定については相談し許可を得ていた。ところが、業容が急拡大すると、清水氏に業務報告することもなくなり、本業の店舗経営よりも財テクにうつつを抜かすようになった。

清水氏は、三夫氏に浮利を追うような株式投資はやめて店舗の立て直しに資金を回すよう促した。ところが、三夫氏は聞く耳を持たなかった。

「こんなバカ騒ぎが長く続くわけがない」とバブルの崩壊を予見していた清水氏は、社長の更迭を決断した。1988年3月15日、6年ぶりに会長として出席した役員会の冒頭で清水氏は、社長を解任し自ら会長兼務の社長に返り咲く特別決議を動議したのだった。

「弟にはかわいそうなことをした」

この苦渋の決断を振り返り、清水は正直な感想を吐露した。

「弟には、かわいそうなことをしました。社長にしなければ、あんなことにはならなかったのにと思っているぐらいです」

実弟の更迭、社長復帰を経て、「身内だから社長に」という世襲人事の思い込みによる怖さについて身をもって知り、後継者選びについて、より深く考えるようになった。

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