ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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清水氏、中内氏と同様、同世代の岡田氏も伊藤氏も反戦論者である。だからこそ、平和の象徴である流通業に誇りを持ち、これを近代化することこそ、平和国家の証である、と考え実践した。

清水氏は、金のにおいを嗅ぎつける商人の動物的勘を備えていた。進駐軍からの横流しビジネスの次に目をつけたのが、バナナとパイナップル(パインアップル)の輸入。日本パインアップル缶詰協会を設立し、若い頃から業界のリーダーシップを執った。当時の日本では、バナナとパイナップルは高級果実だった。付加価値が高いビジネスを短期間で行うのは、次なるビジネスを起こすうえでの資金源となる。この資金を元手に始めたのが「ライフ」だった。1961年11月、大阪府豊中市に1号店を開業した。

すでに、ダイエーをはじめ、雨後の竹の子のごとくスーパーが出店し始めていた頃である。「スーパーは、スーとできて、パーとなくなる」と揶揄された。とはいえ、勝ち組は、「新しい小売業」として高い成長性が期待されていた。競争が激しくなる中で、ライフは後発組だった。

あちらこちらのスーパーを見て回った

清水氏はスーパーについては、ズブの素人だった。今なら、開店に際して、経営コンサルタントに指導してもらう方法もあるが、当時は、そのような気の利いた業者はいない。そこで、清水氏がとった行動がおもしろい。

「あちらこちらのスーパーを見学しました。ショーケースには、メーカーの社名、連絡先が貼ってあります。これを必ずメモし、すぐに電話したのです。『はじめまして。清水信次と申します。社長を務めております。これから、スーパーを出店しようと考えています。どんどんチェーンストア化する計画です。つきましては、そちらのショーケースを購入したいのですが、社長さんにお会いさせていただけませんか』とアプローチしました」

すると、メーカー側はお得意さんになってくれると喜び勇んだのか、さっそく、社長室で社長同士、さしで話すことになった。

「おもしろいことに、そこの社長さんは、自社製品を説明するだけでなく、スーパー業界の現状、商習慣、他社の特徴などを事細かく教えてくれたのです。手間をかけないで、多くの情報を入手できました」

とにかく清水氏は行動の人である。俊敏に行動した結果、付加価値がついてきた。これこそ、清水氏の成功物語を牽引した最大の資質ではないだろうか。

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