ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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清水氏が後継者選びについて確信を得たとき、「(三菱商事からイギリスの食品メーカーへ出向していた)岩崎(高治)君を見つけたので、帰国後すぐ、三菱商事の社長に会い、『一緒に仕事をしたいから、リバプールにいる岩崎君をすぐ呼び戻して、うちの会社へ出してもらいたい』と頼んだ」という。しかし、岩崎氏は将来を嘱望された期待の星だっただけに三菱商事も手放したがらず、交渉し始めてから2年後、32歳になった岩崎氏をライフに迎えた。それから7年間、岩崎氏は食品スーパーの仕事を勉強し、経営者への道を歩んでいった。

そして、清水氏は決断した。

「70歳を超えた頃から自分の限界が見えてきたのです。そろそろ、社長の座を譲らなくてはと考えました」

2006年3月、三菱商事から持分法適用会社になったライフコーポレーションに出向していた岩崎氏が代表取締役社長兼COO(最高執行責任者)に。清水氏は代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)に就任した。

結果的にこのトップ人事は三菱商事からも理解を得て、その後、ライフの経営にいい影響を及ぼすようになった。ちなみに、現在は三菱商事の現役社員が出向しているため、ライフは三菱商事に乗っ取られたと勘違いしている向きもあるかもしれないが、むしろ、小が大の力を活用し、ベストプラクティス(最も効率のよい手法)を可能にしようとしたのだ。

64年間、現役の経営トップであり続けた

清水氏は、2021年5月27日付で取締役名誉会長に退くまでトップを務めた。1956年10月、清水実業を設立して代表取締役社長に就任してから64年間、現役の経営トップであり続けた。その後も、ライフの経営から完全にリタイアはしなかった。いくら「人生100年時代」とはいえ、96歳にして老衰で亡くなる直前まで、経営に携わった経営者はめずらしい。

このようなカリスマ経営者が長期政権を担うと、必ず出てくる言葉が「院政」「老害」である。この点、清水氏に至っては自らを自制し、これらのリスクを回避してきたと考えられる。早い段階で岩崎氏に権限を委譲し、長期政権を委ねることで、ライフを成長軌道に乗せた。

近年、一代で大企業に育て上げたカリスマ経営者が、後継者選びで苦戦している事例が多く見られるようになってきた。万能感が高まり、自身のクローンが出現しない現状にしびれを切らしているように見える。「人は弱い存在である」という哲学を持ち、自身を謙虚に見つめ直す姿勢も必要なのではないだろうか。とはいえ、言うは易し、行うは難し。それを実践した清水氏は、並みの経営者ではなかった。

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