ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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清水氏は、亡くなる約5カ月前の(2022年)5月26日、ライフコーポレーションの取締役を退いた。その最後を括る談話として、「たくさんのすばらしい人々と出会い助けられ、また荒波にもまれながら危機に直面するも、これを乗り越え生き抜いてまいりました」と述べた。大阪の焼け跡で清水氏を助けてくれた「大阪のおっちゃん」「大阪のおばちゃん」たちも脳裏に刻まれていたことだろう。

「焼け跡闇市派」と呼ばれた直木賞作家・野坂昭如氏は、『火垂るの墓』や『アメリカひじき』などの小説で、戦中・戦後の混乱期を生き抜こうとする中で、露呈する人の本質を描いている。まさに、清水氏は「焼け跡闇市派」だった。清水氏だけでなく、戦中・戦後を生き抜いた人、中でも実際に参戦し死の淵をさまよい帰還した「兵隊」たちは、野坂氏が描いた小説の主人公のように、きれいごとでは生存できない厳しい現実の中を逞しく生きてきた。

清水氏と同じ世代が、流通業界に金字塔を打ち建てた。清水氏よりも4歳年上で、2022年8月2日に生誕100年を迎えたダイエー創業者の(故)中内㓛氏、イオンの岡田卓也名誉会長相談役(97)、イトーヨーカ堂を設立した伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)(98)といった大物経営者たちだ。

このうち、清水氏とダイエー創業者の中内氏は、最前線で死を覚悟したという点で共通している。

流通業界の重鎮4人は強い絆で結ばれていた

清水氏は、大阪貿易語学校を卒業するや否や陸軍に応召し、大戦末期、アメリカ軍の上陸に備え、本土防衛を任務とする特攻隊に配属された。清水氏が所属していた千葉の陸軍鉄道第二連隊では、長く続く美景の砂浜として有名な九十九里浜に穴を掘り、そこに清水氏たち特攻隊員が地雷を抱えて潜り込む訓練を繰り返していた。アメリカ軍の戦車が上陸した際、自爆攻撃するという作戦に備えてである。終戦を迎え、清水氏は九死に一生を得た。

一方、中内氏は広島の訓練所から満州を経て、1944年7月にフィリピン・ルソン島リンガエン湾へ。戦闘で敵の手榴弾を被爆。玉砕命令が下されたが、終戦を迎えかろうじて生き延びた。まさに、大岡昇平の戦記小説『野火』で描かれているような地獄を見たのだった。

ちなみに、中内㓛氏が創設した流通科学大学を運営する学校法人・中内学園の名誉理事を、清水氏は岡田氏、伊藤氏とともに亡くなるまで務めていた。これら流通業界の重鎮4人は、ライバルとして切磋琢磨しながらも、「戦友」として強い絆で結ばれていたようである。

千葉の陸軍鉄道第二連隊では、生き残ったからこそ運命の出会いもあった。バブル経済終盤の1988年から1990年にかけて、流通再編の仕掛け人として暗躍した不動産会社・秀和の小林茂氏だ。清水氏は東京に出てきてから、小林氏と同じマンションに住んでいたほど密な関係にあった。

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