ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した
清水氏から得たもう1つの教訓は、戦後の動乱期に仕事を通して見せた生きざまである。
今、大学生に「どのような仕事がしたいか」と聞くと、「好きなことを仕事にしたい」という答えが判を押したように返ってくる。小学校の頃から、家庭、学校双方で、「好きなことを見つけなさい」「夢を持ちなさい」と言われ続ける。だが、誰も「どのようにして食べていくのか」と問い詰めない。だから、いざ、就職活動を行う段になっても「何をしたらいいのかわかりません」という大学生が多数出現する始末。
好きこそものの上手なれ、といわれる。そのとおりだ。好きなことがあれば徹底して貫き、持てる才能に磨きをかければいい。ただし、わが国の現実を見ると、「青い鳥症候群」と呼ばれる空虚な夢追い人を増産しているようだ。
平和が長い間続いた日本においては、「食べていくため」「生きていくため」という概念が軽視されているのではないかと思われるほど、その大切さ、働くことの本質が語られなくなってしまった。そのような話をするのが無粋であるかのような雰囲気さえある。「今どき、そんなことを言っていては、クリエーティブ、イノベーティブな人材が育たない」という声が聞こえてきそうだ。だが、そう単純な因果関係に基づき考えないでいただきたい。仕事はエンターテインメント的要素だけで構成されているわけではない。複雑系なのだ。
清水氏世代は「食べていくため」
「生きていくため」に働いた
清水氏世代は「食べていくため」「生きていくため」に懸命になって働いた結果、達成感を感じ、次のステージに向かって挑戦し続けた。そして、歳を重ね、経験を積み、その人独自の哲学となる「持論」を形成した。清水氏の「足るを知る」心得は、これに等しい。
日本が人口減少、低成長の時代を迎え、国力、国際競争力が劣化している現実を鑑みれば、今こそ、こうしたキャリアの思考と行動原理を再考すべきときに来ている。何よりも先に餌を得なければ生き続けられない、というすべての動物が持っている本能を、現代人は取り戻すべきではないか。大きな教育的課題でもある。
本稿は評伝、追悼文である、と冒頭にただし書きしたので、最後に一言。
昨今、この類の一文を書くと、「よいしょしている」と指摘する人が少なくない。日本で長い間定着していた「死屍に鞭打つ」ことを慎む文化が、SNS、ネット・コメント欄の普及とともに消え去ろうとしているのだろうか。人は誰しも、いい面、悪い面、その人生には成功、失敗がある。しかし、人の上に立つ人、それも有名になった人は、マスコミだけでなく、世間の厳しい目、評価にさらされ鞭打たれる。清水氏にも失敗は多々あった。晩年、本人も正直に語っていた。格好をつけず本音で生きた人だった。安らかにお眠りください。合掌。
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