ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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ライフコーポレーション創業者の清水信次氏
ライフコーポレーション創業者の清水信次氏(取材は2016年、撮影:梅谷秀司)
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自分を謙虚に見つめることで、成功者にありがちな万能感の誘惑を回避しながらも、豪放磊落に生きる──このような生き方を実践してきた魅力的な経営者にもう会えなくなってしまった。
その経営者とは、10月25日に逝去した、日本最大の食品スーパーチェーン「ライフ」(ライフコーポレーション)の創業者・清水信次氏である。享年96歳。すでに清水氏逝去に関して、多数のメディアが報じ、論評しているが、本稿は、少しばかりテイストが違う。評伝、追悼文という形式で、清水信次氏という怪物経営者の人生を洞察してみた。

国家権力を相手に正論を主張し、天下国家を語った

清水氏が豪放磊落に見えたのは、戦後の焼け跡から身を起こし、一代で営業収益(売上高)7683億円(2022年2月期)、首都圏、関西圏を中心に約300店舗を展開するスーパーチェーンに育て上げた経営手腕からだけではない。流通業界のリーダーとして、国家権力を相手に堂々と正論を主張する雄姿だけでなく、天下国家を語る論客としても注目されたからだろう。

成功者だったが、言葉の端々に庶民感覚をのぞかせた。どことなく愛嬌があり、自然体だった。「女房は私と違って戦後に始まった共学第1世代。同窓の男性を君付けで呼ぶんです。どうも私には違和感があってね」と生活感漂う一言、二言が親しみを感じさせた。流通業界のトレードショーなどでは、久子夫人と2人で歩いている姿を見かけた。愛妻家だったのだろう。

清水氏が82歳にして心臓のバイパス手術を受け、退院して間もない頃、筆者は清水氏にインタビューし、続いてランチをともにした。うな重を一緒に食べていた(石井淳蔵氏=神戸大学名誉教授、流通科学大学元学長とともにインタビューを行った)のだが、病み上がりとは思えないほど、おいしそうに頬張る清水氏の元気な姿を見て、安堵の胸をなでおろした。同時に、積極果敢に行動する清水氏の別の面を物語る言葉が今も心に残る。

「人間、足るを知るということが大切だね」

清水氏は、以前から人が陥る万能感の誘惑と危険性を痛感していた。人は成功者になり、世の中から注目されると、高揚感が過度に高まり、やればできる、という思いに駆られてしまう。しかし、そこには、必ず落とし穴がある。その落とし穴にはまり、経営危機に追い込まれた創業者、経営者を見てきたからこそ、清水氏は「足るを知る」ことが大切、と自身を戒めていた。

それゆえ、首位になることを目指しているわけではないのに、「日本一の食品スーパー」と言われることを好ましく思っていなかった。最前線にいる兵隊が最初に死ぬ、という戦争体験に基づく知見から、「1番がもっとも危ない」と考えていた。

心臓の手術を受け、このような思いをさらに強めたようだった。

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