ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した
国家権力を相手に正論を主張し、天下国家を語った
清水氏が豪放磊落に見えたのは、戦後の焼け跡から身を起こし、一代で営業収益(売上高)7683億円(2022年2月期)、首都圏、関西圏を中心に約300店舗を展開するスーパーチェーンに育て上げた経営手腕からだけではない。流通業界のリーダーとして、国家権力を相手に堂々と正論を主張する雄姿だけでなく、天下国家を語る論客としても注目されたからだろう。
成功者だったが、言葉の端々に庶民感覚をのぞかせた。どことなく愛嬌があり、自然体だった。「女房は私と違って戦後に始まった共学第1世代。同窓の男性を君付けで呼ぶんです。どうも私には違和感があってね」と生活感漂う一言、二言が親しみを感じさせた。流通業界のトレードショーなどでは、久子夫人と2人で歩いている姿を見かけた。愛妻家だったのだろう。
清水氏が82歳にして心臓のバイパス手術を受け、退院して間もない頃、筆者は清水氏にインタビューし、続いてランチをともにした。うな重を一緒に食べていた(石井淳蔵氏=神戸大学名誉教授、流通科学大学元学長とともにインタビューを行った)のだが、病み上がりとは思えないほど、おいしそうに頬張る清水氏の元気な姿を見て、安堵の胸をなでおろした。同時に、積極果敢に行動する清水氏の別の面を物語る言葉が今も心に残る。
「人間、足るを知るということが大切だね」
清水氏は、以前から人が陥る万能感の誘惑と危険性を痛感していた。人は成功者になり、世の中から注目されると、高揚感が過度に高まり、やればできる、という思いに駆られてしまう。しかし、そこには、必ず落とし穴がある。その落とし穴にはまり、経営危機に追い込まれた創業者、経営者を見てきたからこそ、清水氏は「足るを知る」ことが大切、と自身を戒めていた。
それゆえ、首位になることを目指しているわけではないのに、「日本一の食品スーパー」と言われることを好ましく思っていなかった。最前線にいる兵隊が最初に死ぬ、という戦争体験に基づく知見から、「1番がもっとも危ない」と考えていた。
心臓の手術を受け、このような思いをさらに強めたようだった。
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