葛西:声に出して読んだときに、相手側に「響き」が伝わること、つまり音としての説得力を持つ文章が理想だと私は考えています。もちろん論理性も正確性も重要ですが、そこには響きがなくてはいけない。最近は、響きがない文章が多くなってきています。響きがなくなるということが、精神にどういう影響を及ぼすのか、まだ確実にはわかってないけれども、影響していると思います。
山折:私も影響は大きいと思います。響くようなリズムとは、相手の心に届くということですよね。届いて初めて納得してもらえる。知的にわかるとは違い、納得してもらうにはどうすればいいか。その壁を破る教育が、必ずしもなされていませんね。
葛西:最近の中央官庁の優秀な人たちを見ていても思うのですが、だいたいアメリカのビジネススクールの影響を強く受けています。ビジネススクールふうの匂いがあると、最先端の教養を持っていると思われる風潮がありますが、あまり影響され過ぎるとよくないな、という気はいたします。
山折:知的なもの、論理的なものを重視するあまり、それを感性的なものに載せて相手に届けるという土台が、おろそかにされていますね。
ラブレターを書くことは、重要な風習だった
葛西:これは英語の世界でも同じなのかもしれません。昔は英語にも響きがあった。最近、それがなくなってきているのではないかと思います。なぜそうなってきたのかよくわかりませんが、電子メールなどのツールは、言葉を劣化させる機能を果たしているような気がします。
山折:iPhoneなどでメールを使っていますと、どうしても視覚中心になる。情報が視覚中心になり、聴覚に流し込むことをしない。
葛西:聴覚はあまり大事ではなくなってしまった。言葉を学ぶうえで、音読、書き取り、作文の3つが昔からベストなやり方です。恐らく、論語の孔子の時代から、あるいはギリシャの時代から、世界中で同じやり方をしていたと思います。最近は、そういう基礎のところが、揺らいでいる気がしますね。
山折:学校教育だけでなく、おそらく会社などでも社長さんが、社長室に閉じこもって、メールを書いて社員に知らせることが増えている。本当は、社長は社員の前に立ち、肉声で語らなきゃいけません。
葛西:話す言葉によって人に共感を与えようという問題意識がなくなり、意味が通じればいいということになっているようです。日本語をやるにせよ、英語をやるにせよ、音読、書き取り、作文、そして文法が基礎です。
山折:これは、もう学校での教育の問題だけではなく、全体がそういう状況になってしまっているということですね。今、作文が嫌いな方が非常に増えていますね。キーボードで簡単に文書を作れてしまう。機械を使って文書を作る時の苦労と、手書きの時の苦労とは、質が違うものでしょう。
葛西:違うと思いますね。ラブレターを書くというのは、重要な風習だったのかもしれません。
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