また医療・健康機器メーカーのタニタでは、希望者に対して「社員を個人事業主に変える」という試みを企業として行っています。そういう柔軟な働き方ができる時代になってきたのです。
書籍の中でも紹介していますが、川崎汽船で働いていた田代英治さんは、会社との雇用契約を業務委託契約に変えて、週に3日の午前中は川崎汽船の人事部で働き、残りの時間は、独立して人事コンサルタントとして活動しています。しかもその働き方を十数年間続けています。一昔前であれば異例であったそうしたケースも、今や会社の側が認めていく方向に変わりつつあるのです。
こうした働き方は、終身雇用という幻想を持てなくなった今の若い人たちから見たとき、ひとつのモデルになりうるのではないでしょうか。
その意味では「時代は『第二の本業』を推している」といっても過言ではないでしょう。私自身も今のような環境下で、現役の会社員時代を過ごしたかったという思いがあります。
会社員の自分とは違う、もう一人の自分を持とう!
第二の本業を持つと、それにより新たな生きがいを得られるだけでなく、一度は失われた会社への愛着や、会社の仕事への情熱も復活してきます。それは、著述業という第二の本業を持った、私自身の経験から自信を持って言えることです。
第二の本業といっても、必ずしもお金になる仕事である必要はありません。趣味に没頭することでも、ボランティアでも、学び直しでもいい。会社員を続けるのであれば、第二の本業からの収入で生活を賄う必要はないわけですから、取り組める範囲も広がります。
大切なのは、「収入が高い、かっこいい」ではなく、自分が夢中になれる何かを見つけ、会社員の自分とは違う、「もう一人の自分」を持てるようになることなのです。50代以降になって、会社員の自分しか持ってない人は、少し窮屈な感じを受けることがあります。
「趣味なんかに熱中したら、会社の仕事がおろそかになるのでは」と思うかもしれません。それについては心配ご無用。むしろ第二の本業を持つことで気持ちに張りが出て、会社の仕事もそれまで以上にがんばれるようになります。また、50代あたりに第二の本業を育てた人は、定年後も70代半ば位までは充実して働いているという実感があります。
仕事への意欲を失っていた中高年男性が、昔の剣道5段の腕前を呼び起こして道場で豆剣士を指導することによって、元気を取り戻して仕事にも打ち込むようになった事例とか、秘書課に長く勤めていた50代の女性は、自費でマナー教室に通い、関連の書籍で学んだ知識も身につけたうえで、カルチャーセンターでビジネスマナーの講座を持った例もあります。もちろん秘書の仕事を続けながらです。
私の新著でも多くの実例を紹介しましたが、この記事をお読みの会社員のみなさんも、意外と身近にそうした人がいるのではないでしょうか。
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