八房さんの話の趣旨は「君は、商売には仕入れと販売があるというのが、わかってへん!会社にいるからこそ鮮度の高い情報が入ってくるのだろ。君の取り組みは会社に在籍していないと、ものになんかならへんぞ。定年になる日まで力を貯めて、『ほな、さいなら』と桜吹雪をまき散らして独立すればいいんだ」ということでした。
八房さん自身、大道芸人として食べていくためには、お祭りやイベントで自分の芸を見せるだけでは限界がある。彼は独立するにしても「組織化する必要がある」と考えた。結果として「八房流」という流派を立ち上げて南京玉すだれの協会をつくった。
そこを基盤にして弟子たちがカルチャーセンターやイベントで活躍できる地歩を固めた。また南京玉すだれをイベントやパレードにも参加できるように工夫しました。
八房さんは、「そういう組織の枠組みづくりは、一定規模の職場で学ばなければ身につかない」と話していました。彼は役所時代に新たな組織を立ち上げる仕事を担当したときも将来の独立のために役立てようと取り組んだそうです。彼自身も「大道芸人として一本立ちするための準備」という第二の本業を長年かけて行ってきたのです。
50歳から働き方を切り替えて本当に良かった
役所組織の特色や公務員の仕事の中に自分の将来に役立つ可能性を見出す発想が素晴らしいと今も思っています。
「会社員をお客さん(読み手)にして執筆するのであれば会社で働き続けていたほうがよいのだ」と私も納得したのです。また初対面の私に対して真剣に怒ってくれて、「世の中はまんざら捨てたもんじゃない」と感じました。
結局、八房さんの言うとおり、会社員と著述業という「二つの本業」を10年あまり続け、60歳で定年退職しました。
生命保険会社の会社員と、性格のまったく異なる著述業を並行して進めることで、相互に気分転換ができて、かつ両者の仕事に相乗効果もありました。在職中も楽しく働くことができて、68歳になった今も著述業を続けています。50歳から働き方を切り替えて本当に良かったと思っています。
私はそうした自分自身の体験からも、またこの20年間会社員を取材してきた内容からも「中高年の会社員は、会社を辞めずに、第二の本業を持つべきだ」と思っています。
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