信用金庫支店長「笑いの世界」に飛び込んだ理由 笑いがあれば仕事の業績も健康もアップする

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第二の本業を見つけるヒントは子どものときに好きだったことにある(写真:mits /PIXTA)
矢野宗宏さんは、元信用金庫の支店長という経歴をもっている。お堅いイメージのある仕事から、なぜユーモアコンサルタントという聞きなれない職業に進んだのか。
長年、中高年の会社員や定年後に活躍している人たちを取材し続けてきた楠木新氏は、「これまでの取材経験から、50歳以降になって、いきいきと働いている人は、子どものときに好きだったことを呼び戻している人が少なくない。始めるのは、中高年になってからでも、退職してからでも、遅くはない」と言う。
その楠木氏が、会社べったりでも、独立・起業でもない、第3の道として「二つの本業」を見つけるヒントを、矢野さんに聞いた。

お笑いに救われた子ども時代

楠木新(以下、楠木):矢野さんは子どもの頃からお笑いが好きだったのですか?

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矢野宗宏(以下、矢野):私は生まれが愛媛県の松山で、小学校に入る少し前に大阪の堺に引っ越しました。でも言葉が違うということもあって、いじめられました。それが小学4年のとき、当時の三遊亭歌奴さんの「山のあな、あな、あな……」で有名な「授業中」という新作落語を見よう見まねで覚えて、休み時間に教室でやってみたのです。これが大ウケで、「おもろいやっちゃな」ということで人気が出て、「お笑いっていいな」と味をしめたわけです。それで高校でも大学でも落語研究会に入って活動してました。

楠木:大学は関西大学ですね。関西大学の落語研究会は、六代桂文枝師匠も在籍していた名門です。卒業のとき、プロになろうと思わなかったのですか?

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