大河ドラマでは繊細、実際は頑固「源実朝」意外な姿 歌人でもあった鎌倉3代将軍の知られざる実像

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何とか京都に戻りたい。でもどうすれば……。そこで時広が頼ったのが、北条義時だった。困った人の駆け込み場という感じである。

時広は、泣きながら、義時に取りなしを頼んだというから、よほど切羽詰まっていたのだろう。義時は、実朝に時広の思いを伝えてやる。すると、すぐに時広に対し、上洛の許可が出たのであった。

この件に関しては、時広に同情する声が多いのではないか。京都に帰りたいと懇願する時広に「鎌倉がそんなに嫌なのか」と実朝は不快に思ったのかもしれないが……。

急に唐に渡りたいと言い出した実朝

この話の2年前(1216年)11月、実朝はさらに不可解な行動に出ている。急に唐(中国)に渡りたいと言い出したのだ。

なぜか。前世に住んでいた医王山阿育王寺を見たいというのだ。同年5月、実朝は宋人の陳和卿と対面していたのだが、そのとき、和卿は実朝に「貴方は昔、宋朝・医王山の長老であった」と声をかける。かつて夢に現れた高僧が同じことを述べたとして、実朝はすっかり、自分は前世で中国にいたと思い込んでしまったのだ。

しかし、それからが大変。和卿に「唐船を作れ」と命じたのである。さらにお供の者60人を選抜する。中国に行く気満々だ。困ったのは、義時たち。「唐に渡ること、なりません」と実朝に諫言するのだが、聞く耳持たず。実朝は造船を命じる。

翌年4月、いよいよ船は完成。数百人の人夫でもって船を由比ヶ浜に浮かべようとする。実朝も義時もその光景を見ていた。しかし、遠浅の浜辺だったので、船をちゃんと浮かべることはできず。

とうとうそのまま放置され、唐船は朽ち果てていったという。陳和卿のその後の消息は不明。実朝の夢が潰えた瞬間だった。義時としては、船が浮かばず頓挫して、ほっと一安心といったところだろう。

『吾妻鏡』からうかがえる実朝は、けっこう頑固で、やると決めたらやる人物だったことがわかるだろう。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では気品があり、繊細な実朝が現時点においては描かれているが、これからどう描かれるか、楽しみである。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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