アリストテレスとプラトンは一体何が違ったのか 両極端な2つの人間のあり方を体現している

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プラトンとアリストテレスの対比はそれ以降の哲学者たちのあいだにも繰り返し現れる。プラトン派は、知的な誠実さ、ソクラテス風のアイロニー、知への愛が特徴であり、アリストテレス派は行動の人である。アリストテレス派は、時機(カイロス)をとらえて動き、フロネシスと呼ばれる経験から得た実践的な知恵や慎重さ、具体的な状況に応じた判断力を重視する。

プラトンとアリストテレスの違いは、偶発性についての姿勢を見れば一目瞭然だ。プラトンは、そんなものは人間にとって価値も意味もないとばかり関心をもたず、真剣に向き合わない。だが、アリストテレスは偶然を受け止め、さらには愛そうとまで言う。

プラトンとアリストテレスは両極端な2つの人間のあり方を体現している。プラトンは理想主義者で、完璧を目指し人間の理想を極限まで高めようとする。アリストテレスの人間観は、リアリストで、不完全ながらも欠点をいかに減らしていくかを具体的に考える。

究極の善より最善を

プラトンとアリストテレスの対立は、道徳(モラル)と倫理(エシック)の対立の始まりでもある。プラトンは、道徳を基準とすることで人間を導き、少しでも知的な理想(善という永遠で不変で必然のイデア)に近づけようとする。

アリストテレスは道徳よりも倫理を優先させる。運に支配されたこの世の中ですべての人の行為を善という普遍的な絶対の概念によって律するのは無理なことだと諦め、それでも少しは「まし」になるように、状況や時代の変化に応じてその都度、適切な行動を選んでいくほうが好ましいという考え方である。

道徳は「究極の善」を求めるが、倫理は常に変化する世界のなかで「最善」を目指す。アリストテレスは『エウデモス倫理学』『ニコマコス倫理学』の著者であり、倫理学の祖である。つまり、彼の思想はプラトンよりも現代的なのである。

わかりやすくするために、アリストテレスにおける人間の価値とは何かをあげてみよう。アリストテレスは徳や、正義や勇気といった美点そのものを絶対の価値として語ることはない。彼にとって、最善は常に2つの悪例の中間に存在する。つまり、中庸こそが美徳なのだ。

勇気について考えてみよう。理想の勇気について語る必要はない。勇気とは、無鉄砲と臆病のちょうど中間のことである。プラトンなら勇敢であるためには、勇気とは何かを考え理想を追求すべきだとするだろう。だが、アリストテレスはここでも上ではなく下、しかも両極端の悪い例を具体的にあげ、そのどちらとも等しく距離をおくことを最善とする。理想主義のプラトンは高みを見つめ、理想の勇気を追い求めるが、アリストテレスは現実主義者として、無鉄砲でも臆病でもない境地が勇気であるとする。

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