アリストテレスとプラトンは一体何が違ったのか 両極端な2つの人間のあり方を体現している

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プラトンは上を見る。アリストテレスは中間地点を探す。理想か現実かという議論は今なお繰り返されている。プラトンは正しい判断のためには、天界の理想を基準として現実を見るべきだとする。アリストテレスは、規格はあくまでも現実に基づいてつくりあげるものであるとし、その規格さえも変動する可能性があり、明日には使い物にならないかもしれないと柔軟に対応する。

要するに二人の違いは現実との向き合い方にある。プラトンにとっての可感界は、忌避すべきものであり、あくまでも天界を基準として振り返り、かかわりあうべきものだ。アリストテレスにとって、現実は最初に向き合うべきもの、すべての行動の基準となるべき土台なのである。

2人にとっての政治

この違いは当然のことながら、政治観にも影響する。ここでも、アリストテレスはプラトンに反論する。

プラトンにとって政治は科学であった。政治には科学、特に「科学のなかの科学」である数学が必要だと考えていた。だから、王は数学と哲学を学ぶべきであり、さもなければ、知性ある哲学者こそが治世者となるべきだと彼は主張した。都市を治めるには、学問が必要だというわけだ。

一方、アリストテレスにとって政治は科学ではなく、芸術であるという。アリストテレスの主張する「三分野の独立」がここにも登場する。政治は実践分野であり、理論分野ではないのだ。

こうなると、アリストテレスのほうに軍配があがる。数学が政治にどのように役立つというのだろう。科学とは「必然」の世界である。ところが、政治家が向き合わねばならないのは、偶然の支配する社会だ。

『政治学』のなかで、アリストテレスはソロン〔紀元前639頃〜前559頃。古代アテナイの政治家〕やペリクレス〔紀元前495?〜前429。古代アテナイの政治家〕の例をあげ、政治という芸術には「才能」が必要だとしている。

予測不可能なことも多く、刻々と変化する世界、過去の経験が必ずしも最善の決断を保証しない世界を統治するには「才能」がいるのだ。過去が役に立つのは、せいぜい失敗例から教訓を得るぐらいではないだろうか。

つまり、政治に必要な芸術的才覚は学校で教えられるものではない。アリストテレスは政治を学ぶ学校など無意味だと考えていた。つまり、政治学院の類い〔フランスでは多くの政治家が政治学院の出身者である〕はどれもアリストテレス派ではなく、プラトン派であるということになる。

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