――統一教会の教義には「韓国はアダム国家 日本はエバ国家」とあります。かつて韓国を植民地支配したエバ国家・日本は、その償いとしてアダム国家・韓国に尽くさなければならないと。歴史認識で言えば清和会(安倍派)は最右翼で、統一教会の教義とは相容れないように思えるのですが、なぜ統一教会は清和会人脈に食い込めたのでしょうか。
その点はちょっと複雑です。文鮮明が生まれた地域は現在の北朝鮮で、1991年に文鮮明が電撃訪朝し、北朝鮮の経済支援を始めたりしたのは文鮮明個人の中に朝鮮民族と南北統一への思いがあったからでしょう。日本が朝鮮半島を植民地支配したことへの国家的・民族的「恨み」があるのも無理はありません。
天皇や日本、日本人を自らに服従すべき存在だと低くみる姿勢は確かにあります。それらをひっくるめて、自らが唱える「統一原理」の下に、世界の宗教も政治も文化も統一されることを究極的な目標としています。ただそうした民族主義・ナショナリズムが教えのなかにあるという話と、それに基づき途方もない金銭を収奪してよいという話は別ものです。
一方で、文鮮明と統一教会が韓国や日本の政界に食い込もうとする時には、「勝共」「共産主義に対峙する」という旗印を掲げました。これも1954年の教団成立当初は必ずしも言われていなかったことで、1962年ぐらいからはじまり、朴正煕政権時代のなかでにわかに言い出されたこととされます。
都合よく使える尖兵部隊
日本の1960年の安保闘争では革新政党や学生、労働組合などが大々的に反対運動を展開しました。こうした反対勢力を、当時の岸信介首相らは共産主義勢力とみなし、強く警戒しました。岸氏や、岸氏と近かった笹川良一氏ら大物右翼の支援を受け、文鮮明は1968年に政治団体・国際勝共連合を設立します。学生や労働組合に直接対峙する、尖兵のような存在です。
岸氏ら保守政治家らにとって「反共」「勝共」を掲げる統一教会は共産主義に対する「防波堤」として、都合よく使える勢力だったのでしょう。このあたりが、その政治とのつながりの源流となります。こうした政治権力側にひたすらすり寄るようなスタンスは、岸氏の悲願とされた改憲をずっと唱えてきたことなどにもつながるでしょう。