「中学までは野球をしていましたが、慶應義塾志木高校では応援指導部に入りました。学校で一番厳しい部活に入りたくて上級生に聞いたらみなさんが応援指導部だというので入りました。
慶應義塾大学でも体育会が肌に合うなと思って野球部に入りました。野球部に問い合わせしたら経験なくてもいいよ、おいでと言っていただいて。でも高校時代の実績もないし、実力もないから裏方に回ることになる。慶應にはデータ班というのが昔からあって、当然そちらにいくことになった。
当時、アソボウズという会社が、野球やサッカー関係のソフトウェア開発をしていて、僕らがアルバイトで試作品を担当することになった。きっかけはたまたまだったのですが、そのソフトで年間何百試合ものプロ野球の1球毎のデータをつける仕事をしたんです。
すると、いろんなことが見えてきた。テレビの解説者がいろいろ話をするけど、ほとんどが結果論で予想は余り当たらない。自分の経験則だけで話をしているんだなとわかってきた。他方自分の予想はデータに基づいているので結構当たる。元プロ野球選手の解説を決して否定するわけじゃないけど、データの知見は武器になる、と思いました」
データスタジアム時代に世界一を経験
卒業後はそのままアソボウズに入社。アソボウズは2001年株主が変わりデータスタジアムになる。NHK BS1放送の「球辞苑」のデータ担当でおなじみの、スポーツデータを提供する企業の誕生だ。
「はじめはデータアナリストの仕事をしてその後はビジネスを事業拡大する役割も担っていました。2009年のWBCで僕は侍ジャパンのデータ担当としてチームに帯同し、世界一を現地で経験しました。そのとき、あぁ、この仕事はもういいかなと感じました」
星川氏は、いずれは「野球界に貢献したい」とは思っていたが、その前に「ビジネス」の経験を積みたいと考えていた。
「野球界を良くするには外を知らないとだめだなと思ったんですね。閉鎖的で競争原理が働かない既得権益マーケットでは他の業界に比べてどうしても遅れをとってしまう。外でも活躍できる人材や外部の知見がないとこの業界は良くならない。それで機械部品を扱う商社である株式会社ミスミに入社した。
この会社は自分の担当する商品に関して仕入れから生産、物流、販売、プロモーションまですべて自分でマネジメントしないといけない。さらに日本だけではなくグローバルで全責任を持ちます。自分が社長みたいなものです。ミスミで僕は一からビジネスについて勉強し、マネジメントや経営を学びました。その後にとっても大きな4年間でした」
再び野球の世界に戻ってきた星川氏はトラックマンと出会う。
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