「明日へのマーチ」に映る桑田佳祐の超バランス感 震災復興へシャイで押しつけがましくないスタンス

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そのような流れの中で《明日へのマーチ》が発表されたのだが、実はこの《明日へのマーチ》の別バージョンが、シングル《ヨシ子さん》の初回限定盤のボーナストラックに収録されているのだ。正式なタイトルは《明日へのマーチ(Live at Onagawa Station-2016.03.26-)》。

「Onagawa Station」とは宮城県のJR女川(おながわ)駅のこと。女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が、16年3月29日に閉局するということを知った桑田佳祐が、閉局直前の3月26日に、自身がレギュラーを務めるFM番組――『桑田佳祐のやさしい夜遊び』を女川から生放送をすることを決定。そのときに演奏された《明日へのマーチ》のライブ音源である。

女川さいがいFMには、サザンオールスターズについての、実に印象的なエピソードがある。『朝日新聞デジタル』の「やっと流せたTSUNAMI 迷い、振り返れる日いつか」という記事より(18年10月12日)。少し長くなるが、引用する。

「大切なのは自分の足で一歩を踏み出すタイミング」

2015年3月。
宮城県女川町の女川さいがいFMに、埼玉の「ソルトさん」からリクエストのメールが届いた。郷里の同県南三陸町で、母親が津波に流されたという男性だ。曲は、サザンの「TSUNAMI」。
「職場の人とカラオケに行くと誰かが必ず歌っていましたが、震災後は敬遠されています。変に気を使われているのが、たまに苦しくなる。いい加減、必要以上の気づかいはお互いやめた方がいい」
番組のパーソナリティーは、自身も石巻市立大川小学校で次女を亡くした佐藤敏郎さん(55)。ソルトさんの言う通りだと思った。ところがリクエストを読み上げると、スタジオに遊びに来ていた地元の人たちの表情が、一瞬曇った。女川は町民800人以上が津波の犠牲になっている。
「震災のせいで行けない場所、言えない言葉、歌えなくなった歌、そんなものない方がいい。でもいろんな記憶がよみがえるのも事実。きょうはまだ厳しいかな」。この日は結局、かけられなかった。
佐藤さんにとって、積み残しの宿題になった。女川さいがいFMは1年後の16年3月末で閉局。自分の番組の最終回で、ギターを手に「TSUNAMI」を歌った。今度はスタジオのみんなが声を合わせた。
「年月がたっても悲しみは変わらないし、忘れるものでもない。大切なのは、自分の足で一歩を踏み出すタイミングです」と、佐藤さんは振り返った。

 

こんなエピソードを持つ場所で歌われた《明日へのマーチ》は、スタジオバージョンとは、ちょっと違った感じで響いてくる。例の「♪願うは遠くで 生きる人の幸せ」の「遠く」も、心なしか「東北」に近い発音で歌われているように感じる。

町民800人以上が津波の犠牲になった女川は、海に近い町である。そこで歌われた《明日へのマーチ》の最後のフレーズは「♪輝く海 美しい町」。その瞬間、《明日へのマーチ》は、海沿いの町――女川の人々にとって、輝く歌、美しい歌となったことだろう。

前回:「マンピーのG★SPOT」芥川龍之介が出てくる痛快(6月24日配信)

スージー鈴木 評論家

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すーじー すずき / Suzie Suzuki

音楽評論家・野球評論家。歌謡曲からテレビドラマ、映画や野球など数多くのコンテンツをカバーする。著書に『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)、『1979年の歌謡曲』『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』(ともに彩流社)。連載は『週刊ベースボール』「水道橋博士のメルマ旬報」「Re:minder」、東京スポーツなど。

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