「数値化」では世界の本質を理解できない理由 土着人類学で考える社会との折り合いの付け方

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つまり「死んだ世界」として単一のルール、固定した価値観で社会を縛るのではなく、「生きた世界」への回路を用意しておくのです。これは文明のあり方とは異なります。文明の世界ではどうしても土の道をアスファルトで覆ったり、岸をコンクリートで固めたりすることになる。そういう意味で、多様性とか社会的包摂といっても、それは土着的な部分を抑え込む術を発達させることであって、決して土着それ自体を社会のなかで認め、社会を変えていこうという話にはなっていない。

しかし自然という「やっかいもの」を封じ込めることが人間の力なのではありません。それは話の順序が違います。この土着的な部分を持っているからこそ、人類は人類足りうるのです。ぼくはこの土着を取り戻し、社会と折り合いをつけていくことを「土着する」と呼んでいます。どうすれば自分の土着と社会の間で折り合いをつけて生きていけるのか。この実践が土着人類学です。

当事者研究と手づくりの原理

そういう意味で、土着人類学は一種の当事者研究でもあります。当事者研究は、北海道の浦河にある障害者支援施設「べてるの家」が始めたといわれています。精神障害の当事者がとった行動を問題行動などとレッテルを貼らずに、そうした行動と自分を切り離して考えます。行動を社会のなかでジャッジしてしまうと、どうしても良い悪いで判断してしまいます。想定外の行動をとったときに自分はどのような状況にあり、どんな気持ちだったのかを分析することで、自分の研究を行う。このような研究が、「生きた世界」への手がかりであることを『手づくりのアジール』でも述べています。

こうした意味で当事者研究には、手づくりの原理が内在しています。手づくりとは、誰もが対価を払えば手に入れられる商品とは異なり、自身の個別性、身体性を手がかりに行う行為です。そして個別性や身体性に触れるためには、コントロールできない、社会の外部が自分の中にもあることを認める必要があります。社会の外部とは当事者研究の場合は主に精神疾患を意味するし、ぼくたちの場合だと体調不良や日々社会に対して感じている違和感だったりします。現代は「みんなのため」の商品を目指しすぎています。そうではなく、自分の中にある社会の外部を手がかりに、まずは「自分のため」に生きていくことが必要だと思うのです。(『手づくりのアジール』176-7頁)

ぼくの言う手づくりの原理こそ、「生きた世界」への回路になります。個別性や身体性に基づく手づくりの原理と対になるのが、普遍的で均質的な「死んだ世界」に属する商品の原理です。

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