これまで、学術論文数、留学生数などについて、中国の質的な成長ぶりを見てきた。低賃金しか武器はないと思っていた中国が、質を高めて日本に追いついてくる。多くの日本人が中国に脅威を感じるようになったのも当然である。
いま日本人が中国に対して持つ感覚は、アメリカが1980年代に日本に対して持った感覚と似ている。その当時のアメリカ人は、日本から輸入された安くて優秀な工業製品がアメリカ市場にあふれ、アメリカ企業が駆逐されつつあることに脅威を感じていた(『メイド・イン・アメリカ』は、そうした危機感をベースにして書かれた)。
工業製品だけではない。金融機関の時価総額も、日本企業のほうが大きくなった。そしてジャパンマネーがアメリカの不動産を買いあさり始めた。このままではアメリカは日本に蹂躙(じゅうりん)されてしまう。FRB議長だったグリーンスパンが回顧録に書いたように、アメリカ人は「スプートニク以来の深刻な敗北感」を味わったのである(ちなみにオバマ大統領の今年の一般教書演説にも「スプートニク」の言葉が出てくる。今回は中国の脅威を指しているが、私には見当違いの認識に思える)。
現在の日本人も、中国企業の時価総額が日本企業を超え、チャイナマネーが日本の不動産や山林を買いあさることに脅威を感じている。しかし、これは漠然とした感覚的危機感だ。それが高じるとヒステリックな中国脅威論になる(事実、尖閣諸島での衝突事件以来、感情的な論調が増えている)。
「中国を抜きにして日本の将来を考えることはできない」と言われる。そのとおりである。しかし冷静な評価が必要である。中国の実力を過大でもなく過小でもなく、客観的に評価することが必要だ。