倶利伽羅峠で源氏に負けた平家武将の話が切ない 木曽義仲が大胆な奇襲、源平合戦の転換点に

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手塚は郎党を殺されたのを見て、怒り、その武将に打ちかかっていく。武将の鎧の草摺(くさずり)を引き上げて、二刀刺し、弱ったところに組みついて、馬から落とさせ、ついに他の郎党に首を取らせたのだ。

手塚は義仲の御前に馬を走らせ、こう告げる。「奇怪な者を討ち取りました。立派な鎧を着ているので、大将軍かと思えば、後に続く兵もなし。名乗れと何度も責めたのですが、ついに名乗らず。坂東なまりがあったように思いますが」と。

義仲はその武将の首を見て「これは、斎藤別当実盛に違いなかろう。幼い目で見たときは、実盛は白髪混じりであったが。今はすっかり白髪になっているはずだが、鬢(びん、頭の側面の髪)やひげが黒いのは不審。樋口次郎兼光は実盛と慣れ親しんでいたので、知っておろう。呼んでまいれ」と樋口を呼ぶ。樋口は一目見て、その首が斎藤実盛であると見抜く。実盛は源義朝の配下にあったが、源氏が平治の乱により没落すると、平家に属するようになっていた。

しかし、義仲の父・義賢が殺されたとき、実盛は幼い義仲を預かり、信濃国へ送ったとの逸話もある(『源平盛衰記』)。これが事実ならば、義仲の命の恩人とも言えよう。実盛は出陣前、平宗盛に「錦の直垂の着用」を請い、許されていた(『平家物語』)。

髪やひげがなぜ黒かったのか

さて、実盛の鬢・ひげが黒いことを樋口は「かつて実盛殿は、いつもこう言っておられました。60を越えて、戦場に向かう時は、鬢・髭を黒く染めて、行こうと思うのだ。若武者と先駆けを争うのも大人気ないし、老武者として人に侮られるのも口惜しいからと。誠に染めておられたのですね」と涙を流し、語る。そして、実盛の首を洗ってみると白髪が現れたのであった(『平家物語』)。戦に臨む武人の心意気を実盛の行動から見ることができよう。

ちなみに、実盛が討たれるとき、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの言い伝えがある。そのため、稲虫(ウンカ)は「実盛虫」とも呼ばれ、この霊を鎮める神事は「実盛送り」という虫送りの行事として、全国各地に伝わっている。しかし、実盛の潔い行動を考えると、実盛が死後、人の生活に害を与える虫になったとは私は考えたくない。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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