「休業手当」勝ち取った塾講師が受けた酷な仕打ち 会社側から圧力を受け、誹謗中傷にさらされた

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一方で私自身は労働問題を取材していて、もどかしく思うことがある。それは声を上げた人が報われない現実が少なくないことだ。

いくつか事例を紹介しよう。ある非正規雇用の介護職員たちはユニオンに加入し、最低賃金水準だった時給の引き上げや正規雇用化を求めたところ、上司からはパワハラに遭い、同僚からは村八分のような扱いを受けた。時給アップの要求が通る一方でユニオンを脱退した同僚たちだけが正規職員へと切り替えられていった。またある契約社員は、住宅手当などが正社員にだけに支給されるのはおかしいとユニオンに入って闘ったが、諸手当が契約社員にも支給されるようになったのは、自身が定年退職した後のことだった。

ケンスケさんもこの間、会社側からさまざまな圧力を受け、ネット上の誹謗中傷にさらされた。職場の上司は事務的な話ししかしなくなり、「がんばって」「ありがとう」という声をかけてくれたアルバイト講師は1人もいなかったという。

単なる「ただ乗り」ではないか

なぜ日本の社会は労働運動に対して冷笑的、無関心なのか。「第二人事部」になりはてた大手企業の一部の労働組合に対する失望や、非正規労働者が増える中で雇い止めや孤立化が怖くて声を上げることができないという事情は理解できる。闘うことばかりが正解だとも思わない。ただ「ありがとう」の一言もなく、賃上げや正規雇用化の恩恵にあずかるのは、単なる“ただ乗り”ではないかといったら、言いすぎだろうか。

私の愚痴のような問いかけに、ケンスケさんは会社の圧力や周囲の腫れ物に触るような扱いは「自分にとってはちっぽけなこと」だと答えた。

「目的はお金だけじゃない。自分のためというより、社会のため。(労働運動を通して)もっと自由に生きられる社会をつくりたいんです。異常な長時間労働や低賃金、セクハラやパワハラといった理不尽には応じない自由。搾取されない自由です」

たしかにケンスケさんが争議を通して得た休業手当は2万円ほど。お金以上に、同じ時期にユニオンに相談に訪れ、自分の闘いを直接見ていた学生たちが、ぞれぞれの職場で不当な解雇や雇い止めに対して声を上げてくれたことがうれしかったという。

ケンスケさんは会社との交渉を終えたタイミングで塾講師を辞めた。現在はPOSSEの活動に参加しながら貯金を切り崩したり、アルバイトをしたりしながら、大学院に進むための準備をしている。

日本では社会運動に対して「何も変わらない」と冷笑する人が少なくない。ただ私の周囲で、労働運動やデモに参加しながらすぐに社会がよくなると思っている人などいない。声を上げなければ、より悲惨な未来しかないことを知っているだけだ。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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