アカデミアはグローバルコースと国内コースに分かれ(現在は統合)、生徒数は合わせて約300名。プレゼンや経営シミュレーションゲームなどで順位がつけられ、毎年下位20%は脱落、入れ替えとなる厳しい仕組みだ。
11年に外部1期生として合格した林はグローバルコースを選択。新事業の提案プレゼンでは、孫社長が「10億円出すからやってみろ」と事業化を許可した案件もあった。経営者だけでなく医師など多様な人材が集まる中、林は初年度から総合2位という好成績(12年は5位、13年は3位)を残す。
孫社長からは講義でリーダシップ論を学んだ。
「人を巻き込み、動かすのは、理屈ではない。リーダーとしての思いだ」
道なき道を進み、経験に裏打ちされた言葉に心を揺さぶられた。
そしてお呼びがかかった
アカデミア参加をきっかけに、ソフトバンクからオファーを受けたのは11年末のこと。「来年から来てほしい」。林は誘いに興奮しつつも、入社するかどうかは、任される仕事の内容次第だと冷静に考えていた。
「どんな仕事をやるんですか?」「ロボットだ」。林は快諾した。ロボット開発の経験は皆無だが、迷いはなかった。「レクサスLFAやF1がそうだったように、前例のない分野でゴールに向かうことは得意だった。アカデミアで学んだリーダシップを実践したい気持ちも強かった」。12年4月にソフトバンクに入社。かつて門前払いされた機械系エンジニアは、その能力を買われて招かれた。扉が開いた瞬間だった。
しかし、開発リーダーとして飛び込んだ場所で待ち受けていたのは、あまりに厳しい現実だった。簡単に倒れるお粗末な試作機。そして、壮大すぎる孫社長のビジョン。肝心の開発コンセプトすら決まらず、計画も徐々に遅れ始めていた。だが、自分を育ててくれたトヨタを後にする時、たくさんの人が暖かく送り出してくれた。とにかく成功させる。途中でやめることを考える余裕もなかった。
厳しい状況を一変させたのが、冒頭の孫社長の激高だった。怒鳴られて何かがふっきれた。自分のせいだと言うのならば、やらせてもらおう。「3カ月間、時間をください」。孫社長にメールを送って、林は腹を決めた。
この頃、議論の末に固まったのが「コミュニケーションで人を楽しませる」という開発コンセプトだ。社内からは実用的な機能が必要との声も多かったが、開発チームは人を真似るのではなく、人ができないことで活躍させようと考えた。「とにかく面白いものを作ろう」。そう声をかけると、開発メンバーの活気も戻っていった。
電通やよしもとクリエイティブ・エージェンシーのメンバーも加わり、ペッパー独自のキャラクターや動作を徐々に形成。チーム一丸で開発に打ち込み、3カ月後に迎えた運命のプレゼン。孫社長の反応は上々だった。笑顔で喜ぶ姿を前に、「生き残った。これでまだ会社にいられる」。ひとまず胸をなでおろした。
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