「ペッパー」が呼び寄せた異能の”トヨタマン” ソフトバンクに飛び込んだ勇気と自信

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グライダーで空を飛ぶ様子を楽しげに話す林さん(撮影:今井康一)

1973年、愛知県に生まれた林は、電動工具会社に勤めていた父親と同じように、エンジニア気質あふれる少年だった。中学生の時、スタジオジブリの映画「風の谷のナウシカ」で主人公ナウシカが乗る「メーヴェ」に憧れた。風の力を利用して大空を滑空する、尾翼のない飛行装置だ。木製の模型飛行機を改造して1メートルほどの”メーヴェ”を作り、自宅の2階から飛ばしていた。

高校に進学する前、今度はバイクに心を奪われた。80年代にヒットしたバイク漫画「バリバリ伝説」を読んだからだ。これと決めたら一直線。免許取得が許されていた県内の進学校の受験を決意する。校長面談では「お前の成績では無理だ」と止められたが、合格をもぎ取った。高校1年生の夏休みに中型免許を取得し、夏休みの終わりに限定解除審査をパス。念願の大型バイクもモノにした。

「面白い会社があるぞ」

東京都立科学技術大学(現在の首都大学東京)に進学し、趣味レベルの自動車部とは別にのめり込んだのが航空部の活動だった。数か月に1度の合宿ではグライダー(エンジンのない飛行機)で河川敷を飛んだ。ドーナツ状に空気が流れる上昇気流を捕まえて高度を上げていく。鷹やトンビたちと一緒に旋回しながら飛ぶのがたまらなく楽しかった。部活では、グライダーを引っ張り上げる機械の開発や制作、操作も担当していた。

「中学生の頃は自転車を改造し、バイク、車、飛行機と興味が移った感じだった」と林は振り返る。だがそこに、まったく別の存在が入り込む。大学3年になり、就職か大学院進学かで迷っていたところ、父親がこんな話をしてきた。

「ソフトバンクという面白い会社があるぞ。受けてみたらどうだ?」

ソフトバンクは1994年7月に株式を店頭公開した。当時36歳の孫正義社長(撮影:吉野純治)

当時のソフトバンクは、94年7月に株式を店頭公開し、12月にコンピュータ関連の大手出版社、ジフ・デイビスの展示会部門を200億円で買収。翌年には世界最大のコンピュータ見本市であるコムデックスに800億円出資するなど、大胆な投資で世界のIT業界に橋頭堡を築こうとしていた。

自信たっぷりに世界展開を語る孫社長の姿に、林は新世代の風を感じとった。

「経営者が日本人離れしている。こんなに面白そうな会社なら入りたい」

そして採用試験を受けた。結果は不合格。「(ソフトバンクと関係の薄い)機械系のエンジニアだったからだと思う」と林。失意のうちに大学院への進学を決めた。だが、その時でさえも「大学院に進学したら、なおさら採用してくれなくなるだろうな」という思いがよぎった。”フラれて”悔しいという感情だけでおさまらない。挫折だった。

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