きれいなノートにこだわるヤツはバカだ 「写経」に注力しても、試験突破は遠のくだけ

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

かくいう私も、学生時代はテストの前になると、きれいな(情報が多くて字がきれいな)ノートを貸してもらい、コピーするという愚行に走っていました。そんなノートは、試験前には頼もしい存在に見えます。

しかし、情報の取捨選択がまったくなされていないので、実は極めて非効率な勉強になります。ノートをコピーさせてもらった身でありながら「なんでこんな奴のノートを借りてしまったんだ」と後悔した記憶があります。嫌なヤツですね(笑)。

本当に頼れるのは、自作の「継ぎはぎノート」

ここまで言うと、「じゃあお前のノート見せてみろ! どうせそこそこキレイなんだろ!?」という突っ込みを受けそうです。

私のノート、「読めるものなら読んでみやがれ」と言いたいところです。私のノートは、テキストや教科書を読んで「記憶しにくい部分」だけをピックアップして自分オリジナルのノートにしていました。ポイントは、「記憶しにくい部分」であって「理解していない部分」ではないことです。

すでにきちんとまとまっているテキストや教科書を読んで「理解できない」部分なのだから、同じ内容をノートに書いたところで理解できるはずがなく、これをノートには書いても意味がありません。それこそ、丸写し以外のなにものでもないムダな作業です。

たとえば私の場合、300ページある教科書だとすると、ノートはせいぜい10~15枚程度に収めるようにしていました。あらゆる分野の事項を少しずつ飛び飛びに書いてあるので、他人が見ると支離滅裂なノートですが、自分が記憶していない事項だけが載っているノートができます。自分にとってはこういう「継ぎはぎノート」を見返すのが最も効率のよい勉強法なのです。

したがって、自分さえきちんと判別できれば、それ以上に丁寧に書く理由はなく、むしろ汚くてもなるべく早く字を書くことです。勉強にとっていちばん大切な「時間」という資源を、ノートの字をきれいに書く時間に費やしてはなりません。きれいな字を書きたい欲求があるのであれば、書道教室に行くのがいいでしょう。

次ページ鬼頭のノートは本当に汚い?
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事