きれいなノートにこだわるヤツはバカだ 「写経」に注力しても、試験突破は遠のくだけ

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まず「ノートがきれい」という場合、そこには2つの意味があります。ひとつは「多くの情報が整理して記載されている」ということで、もうひとつは「単純に字がきれい」ということ。やはり、これら2つともに意味がありません。

そもそも、試験勉強におけるノートの役割とは何でしょうか。「勉強したことを整理するため」「習ったことをまとめるため」といった答えが頭に浮かんだ方、完全にアウトです。ノートの役割を思いっ切り履き違えています。

なぜなら、試験勉強においてはインプットのための勉強道具として、必ず教科書、テキスト、レジュメといった教材があります。そしてこういった教材には、インプットに必要な情報がきちんと整理して掲載されています。そう、情報の整理やまとめは、プロに任せればいいのです。

きれいなノートをコピーさせてもらうのは愚の骨頂

2つめの「字がきれいなノート」も、目的に照らせばなぜ意味がないかおわかりいただけますね。資格試験の講義の場で、よく板書を美しく丸写しする人かいますが、ノートは写経ではありません。お坊さんを目指しているならともかく、試験突破を目指すなら、まったく見当違いのことに力を注いでいることになります。

では、ノートはどう使うのが賢いのか。私自身は、ノートは記憶したり理解したりするのに必要なもの「だけ」を、「補助的に」書き留めておくものと決めて勉強してきました。逆にいえば、記憶したり理解したりするのに不要なものについては書いてはいけないということです。

莫大な情報が整理されているきれいなノートは、教科書やテキストやレジュメに書いてあることの書き写しに近いものになります。そんなノートを書く人というのは、実は全体像をつかめておらず理解していない、というパターンがほとんど。必要な情報を「網羅している」のではなく、「取捨選択できていない」だけです。

そして、最もやってはいけないのが、きれいなノートのコピーです。理解していない人のノートをコピーして理解できるはずがありません。おぼれる者はわらにもすがりますが、きれいなノートにだけはすがってはいけません。

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