【現地ルポ】国内造船は復活できるか? 川崎重工がヒット作の「LPG船」で中韓勢に挑む、そしてDX戦略・次世代水素戦略の全貌
川崎重工業の創業者、川崎正蔵は1878年、東京・築地で造船業を立ち上げた。その後、兵庫・神戸の官営兵庫造船所の払い下げを受けて川崎造船所を開業。日清・日露戦争の艦艇需要を取り込んで事業拡大する。だが戦後の不況で幾度も経営危機を迎え、そのたびに大規模なリストラを余儀なくされた。
1960年代、日本の造船業は大型タンカーブームで活況を呈したが、70年代のオイルショック以降、再び苦境に陥る。2000年代にはコストの安い中韓勢に押され、関係各社の商船部門はどこも集約化を迫られた。
工事記録改ざんの背景事情
そうした中で川崎重工は07年に中国で2つ目の合弁会社を設立し、ばら積み船などは中国での建造に集約した。「もともと神戸工場の設計に基づき中国で船を造る体制だったが、今は現地で基本設計から詳細設計まで対応できるようになった」。執行役員の荻野剛正・船舶海洋ディビジョン長はそう話す。
一方、LNG(液化天然ガス)運搬船など高度な技術を要する船種は香川・坂出工場に集約。神戸工場は潜水艦や特殊船の建造、船舶用エンジン製造などに特化した。
そんな神戸工場で24年、船舶エンジンの燃費データ改ざんが発覚。コスト競争の激しい商船部門の工事費用を、予算に余裕がある潜水艦修理工事に付け替えていたことも明らかになった。特別調査委員会の報告によれば、背景には「神戸工場での商船建造を維持したい、そのために何とかして利益を出したい」との歴代幹部の思いがあったという。

事実、川崎重工にとって造船は長きにわたり荒波に耐え続けるような事業だった。造船部門の売り上げは年によって大きく波を打ち、営業利益は開示されていた19年度まで赤字を繰り返していた。
そして今。政府が国内造船業の復活を掲げる中で、どのように生き残りと成長の道を描こうとしているのだろうか。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら