モノをあげたい人が「やりがち」な残念なミス 大事なのは「あげる」ではなく「もらって頂く」事

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主な舞台は、うちの近所にあるとても趣味の良いカフェ。そこの店主は、常人にはゴミにしか見えないものの中にもこのうえない美を見出す天才とも言える方で、店の超絶素敵なインテリアはほぼすべて、拾ってきたものやもらったものばかりという偉人である。

なので私もこの店には散々世話になっていて、いろんなものを「もらって頂いて」いる。だってですよ、わが家で使いこなせず不遇を囲っているモノたちが、ここへ持ってくれば見違えるようにイキイキと輝くのだ。無能な持ち主としてはこれほどうれしくありがたいことはない。

なので店主の好みに合いそうなものを自分なりに考えて持って行くのだが、それでも、おそらくその何割かは「やや迷惑なもの」も含まれているに違いないと自覚はしている。なのに毎回笑顔で受け取ってくれる店主様はまさしく現代における神である。なので当然のことながら、毎回「もらってくれて誠にありがとうございます!」の気持ちを忘れたことはない。

なぜか「おじさん」に多い残念な人たち

こんな素晴らしいお店なので、私と同様に何人かの人がその恩恵に預かり店主様にモノを引き取っていただいているのだが、残念なことに、その中には数人の「ローゼキモノ」がいるのである。

いろいろと持ってくるのは良い。それは私も同様である。だが店に来るたびに、「これは俺が持ってきてやった」「あれも俺が持ってきた」と自慢を繰り返す人がいる。また汚れたものまで持ち込み、さすがの店主にも断られた人がいる。さらには、いったん持ってきたものをだいぶ経ってから「返してほしい」と要求する人がいる……。

いずれも悪気があるわけではないのだろう。ただこの人たちが決定的にダメなのは、「あげる」人がエライのだと思い込んでいることである。何度も言うが、そんな時代はもう何十年も前に終わったのだ。なのにそのことに気づいていないのである。

そして私が気になったのは、これがすべて「おじさん」の所業だったことだ。私の知る限り、女性にはこんな人はほとんどいない。

なぜおじさんにはこういう人が多いのだろう?

それは実に興味深いテーマであるように思える。なぜって、こんな行為をするということは、そういう時代認識でいるということにほかならないからだ。

世の中にはいつの間にやらモノがあふれかえっていること、みんな不要なものの処分に頭を悩ませているということ、ひいては大量生産大量消費の社会に巻き込まれていくことにうんざりしている人が少なくないことに気づいていないのである。

今も相変わらず誰もかれもがモノを欲しがっているのだという大前提とともに生きているのである。で、おじさんといえば、世の中の経済を動かしている中枢にいる方々なのである。

なんかね、日本経済がうまくいかない理由がここに凝縮されているような気がするのでありました。

生活をしてない人が多いのかなと思う。お金を稼ぐことには長けていても、生活をしていないと「お金の使い方」はわからない。となれば、ものの本当の価値もわからないし、時代感覚も生まれないし、世の中とどう調和して生きていけば良いのかもわからなくなってしまう。

案外深刻な問題なんじゃないかと思う今日この頃であります。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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