モノをあげたい人が「やりがち」な残念なミス 大事なのは「あげる」ではなく「もらって頂く」事

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さらに言えば、もし欲しがってくれる人を見つけたとしても、そのお方に「30万もしたものをタダでくれてやる」というような態度で接することは、もう絶対に絶対に厳禁である。

なぜって、たとえ欲しがっているように見えたとて、本当に心からめちゃくちゃ欲しがっているってことはほとんどないと考えたほうが良いからだ。この何もかもが信じられないほど安い値段であふれまくっている時代の中、洋服なんぞ、本当に気にいったものを選んで買うほうがドライでうれしくて安心なのである。

そもそもね、なぜあなたがその30万もしたコートを「着なかった」のかを考えて欲しい。それは、値段とは関係なく、どこかに「着ない理由」があったに違いないのだ。デザインがイマイチとか、重いとか、でかいとか、大げさとか、それは案外小さくない理由のはずである。30万もしたのに着なかったんだから、よほどのマイナスがあったのだ。

それを、わざわざ喜んだ顔までして「もらってくれた」人が現れたのである。まさに神である。そのことの恩義を忘れてはならない。その人のおかげで、あなたは「無駄なものを買って、それをゴミ箱に捨てる」という悲しさや情けなさを逃れることができたのである。ものを無駄にする良心の呵責からも逃れることができたのである。

「もらって頂く」という気持ちを忘れてはいけない

つまりはですね、人様にものを差し上げるときは、それがどんなものであれ、「あげる」のでなく「もらって頂く」という気持ちを絶対に忘れてはならないのであります。

その気持ちさえあれば、前回書いたように、あげたことがかえって迷惑にならぬよう、相手をよく見て、相手が本当に必要としているものを想像し、さらには念のため「これこれのものをもらっていただけますでしょうか」と確認してから差し上げることはもちろん、その際には「なんだか押し付けちゃってすみません!」とか「もらっていただいてホント助かります!」などの一言を添えるといった行動は、ごく自然に出てこようというものだ。

それができるようになれば、その相手との関係は長く続き、なんだかんだとお互いにあげたりもらったりして幸せに暮らしましたとさ……という結末が必ずや待っているであろう。

……と、たかだか一介のアフロにすぎない身で、このように説教めいたことをクドクドと書いたのには理由がありまして、私は実際に「ダメな例」を少なからず目撃したことがあるのだ。つまりはですね、これは案外、少なからぬ人が「やりがち」なミスなのである。

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