ラーメン好きな人も知らない「味の地域性」の深奥 名店の追随だけでなく転勤者の文化もあった

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昭和時代には最強チェーンがあり、各地のラーメン文化に大きな影響を与えた。

「どさん子ラーメン」だ。最盛期には1157店(記録に残る店舗数値)もあったという。一般に外食チェーン店が1000店を超えると全国各地で目にするので、かなりの存在感だ。

「どさん子ラーメン」は現在も残り、町中華として親しまれているが運営会社が変わっており、ここでは往時の店の横顔を紹介したい。

「当時、まだ全国的にはなじみが薄かった味噌ラーメンを各地に紹介した立役者です。人気にあやかり『どさん娘』や『どさん子大将』と名づけた別のチェーン店もあり、それらを含めると2000店規模に達したのではないでしょうか」(大崎さん)

今でも観光地として大人気の北海道だが、昭和40年代、50年代には一大旅行ブームがあった。例えば、当地名物の木彫りの熊や三角ペナントをお土産に買う人も多かった。それとともに札幌の味噌ラーメンやとんこつベースの味も伝わっていった。

「実は、創業者の青池保さんは東京の人。独自の工夫でコーンやバターを乗せたラーメンを開発したと聞きます。それを逆に道内のラーメン店が導入した事例も目立ちました」(同)

君津市や小平市で「九州ラーメン」が浸透した時代

これ以外に「文化移植系」ともいえる現象があった。昭和時代、大企業の工場新設により、多くの人が移住して郷土文化が根づいた事例だ。

「代表的なのは新日鐵(当時)の製鉄所がある千葉県君津市とブリヂストンの工場の東京都小平市です。特に君津は2万人規模の従業員やその家族が八幡製鉄所(福岡県)から移住。その人たちが好む味を提供する形で、周辺に九州のとんこつラーメン店が開店していき、リトル九州ともいえる文化が生まれました。

ただ、私も君津に取材に行きましたが、今はその熱気はありません」(同)

運営企業の工場再編により生産拠点・技術拠点の位置づけが変わり、いわゆる工場文化の色合いも薄れた。

とはいえ、郷里の味への思いは、大人になっても変わらないのかもしれない。

袋麺の例でいえば「うまかっちゃん」(ハウス食品)は九州で圧倒的なシェアを持ち、九州各県の限定味も出している。この味を支持する出身者は多い。以前、大分県から愛知県に転勤した40代の男性会社員(福岡県出身)は「愛知では、あまり『うまかっちゃん』が売られていないので定期的に実家から送ってもらっています」とも話していた。

インターネットが基本インフラとなり、情報交流が活発になると、新たな潮流も生まれた。

「東京の人気店で修業した人がUターンやIターンをして開業したり、異業種から来た人が情報収集と研鑽を経て開業したり、繁盛する店の性格も変わってきました」(同)

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