「1日40万売る」フライドポテトベンチャーの正体 小学校教員→海外で飲食店勤務→北海道で起業
消えかけた炎が再び燃えあがり、ソースの開発に乗り出した。ニュージーランドで食べたものはディップ式だったが、東京にディップ式のフレンチフライ専門店があることもあり、オリジナルソースをかけて食べる「ローディッドフライ」を選んだ。ニュージーランドの居酒屋でメニュー開発に携わったことが、ソース作りにも生きた。
最初に作ったのは、北海道で平飼いされている鶏の卵にニンニクとしょうゆを合わせた手作りマヨネーズ。その後、牛ひき肉、トマト、玉ねぎ、にんじん、セロリを炒め、ワインで煮込んだミートソース、ひよこ豆と練りごまで作るフムス(ペースト)にタイ生まれのシラチャソースを加えたソースなど、計5種類を次々と完成させた。
あとは販売する舞台を用意するだけだ。ニュージーランド時代に「固定費のかかる店舗の経営は難しい」と学んでいた齋藤は、キッチンカーで勝負をかけることにした。これはさすがに自力でできないため、業者に依頼。車両の購入費を含めて350万円を投じた。
再び教壇へ
事前のマーケティングもかねて同年11月末からクラウドファンディングをしたところ、まだなにも始めていないにもかかわらず、39人から31万7555円の支援を受けた。このクラウドファンディングがきっかけで、北海道の栗山町にある「湯地の丘 自然農園」のオーナーと知り合い、そこで減農薬栽培されている甘味が強い男爵を使わせてもらうことになった。
店の名前は、ニュージーランドにいるときから決めていた。ニュージーランドでは2人のコロンビア人、フィジー人、インド人とルームシェアをしていて、帰国する間際に「日本でフライドポテト専門店を開く」と話をしたら、ひとりのコロンビア人が、「Such a amazing thing」と言った。そのとき、「アメイジングはスペイン語でなんていうの?」と尋ねたところ、「アソンブロッソ」と教えてくれた。その音の響きが気に入って、店の名前にした。
あとは、キッチンカーの完成を待って、勝負に出るだけ。齋藤は、静かに闘志を燃やしながら、北海道の寒い冬の間、教壇に立っていた。え? 教壇? そう、齋藤はひょんなことから一時的に、小学4年生になっていた教え子の担任に戻ったのだ。
クラウドファンディングを始める少し前、教え子たちの学習発表会があると聞き、顔を出した。そこで再会した子どもたちに、「俺はフライドポテトで起業する!」と伝えた。ところがそのとき、産休に入っていた教師がいて、かつての上司である主幹教諭から、「臨時で働いてもらえないか?」と声をかけられたのだ。そこで11月から次の年の3月まで、学校に戻った。その初日、子どもたちはキョトンとしていたと笑う。
「自分でも、まさかもう一度担任をするなんて思ってもみなかったですね。子どもたちは、あれ、先生、フライドポテト屋さんするんじゃなかったの?って(笑)。実はこういう事情で3月までお前らの担任になることになったんだ、4月からすぐにやるぞって話しました」
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