「1日40万売る」フライドポテトベンチャーの正体 小学校教員→海外で飲食店勤務→北海道で起業
しかし、本州より一足も二足も早い北海道の冬の訪れとともに、アソンブロッソを明るく照らしていた太陽が陰り、一気にふぶき始めた。
10月末、齋藤は旭川の店舗をスタッフに任せて美唄に戻った。その頃から、「旭川テック横丁」は、来店者がみるみる減少していた。横丁に出店している店のメニューがiPadにまとめられ、客がiPadで注文したものを共有のフロアスタッフが接客、会計するというシステムだったが、現場を知る齋藤によると、注文をうまくさばけず、客から何度も「遅い!」とクレームが入るような状態が続き、リピーターがつかなかったという。
キッチンカーはもともと冬の売り上げが下がることは織り込み済みだったが、旭川は想定外。下りのエスカレーターのように売り上げが落ち始め、「これはヤバい」と本格的に焦りを募らせていたら、2019年の年末に中国の武漢で発生した新型コロナウイルスが一気に拡散し、年明けから中国人を中心に外国人の旅行者の姿が消えて、旭川テック横丁の店舗は赤字に転落した。
2月、起死回生を狙い、数十万円の出店料を支払ってさっぽろ雪まつりに店を出したものの、やはりコロナの影響で観光客は過去10年間で最少水準の202万人にとどまり、大赤字。ほんの数カ月前、満面の笑みを浮かべていた齋藤は、旭川の店舗のスタッフの給料を払うために、深夜のコンビニでアルバイトを始めた。
名古屋の主婦からのメール
固定費を減らすため、3月いっぱいで旭川から撤退。「これからどうなるんだ……」と暗い気持ちになっていた3月のある日、ホームページの問い合わせ欄から一通のメールが届いた。
「キッチンカーをやりたいけど、商材がない。フランチャイズで、アソンブロッソのフライドポテトを売らせてほしい」
そう書いて送ってきたのは、面識のない名古屋の主婦だった。フライドポテトを食べたこともなく、たまたまアソンブロッソの存在を知って連絡してきたようだった。フランチャイズであれば、自分が動かなくても利益を上げられる。なにより、いずれ全国展開したいと思っていた齋藤にとって、願ってもない申し出だ。
北海道では昨年4月16日から5月25日まで緊急事態宣言が発令され、キッチンカーを出すこともできない。齋藤は持続化給付金でなんとか食いつなぎながら、オンラインでやり取りを重ねた。そして緊急事態宣言があけた6月、北海道でキッチンカーを再開すると同時に名古屋でもアソンブロッソのキッチンカーが走り始めた。
コロナ禍でも、キッチンカーが稼働すれば、ある程度の売り上げは確保できる。コンビニのアルバイトを辞め、挽回を誓って精力的に出店をしていた齋藤は、名古屋から送られてくるデータを見て目を見張った。売り上げがぐんぐん伸び始め、しばらくして北海道を追い抜いたのだ。なんと、週に3、4日の稼働で1カ月に80万円、90万円に達し、主婦ひとりでは手が足りなくなって、別の仕事をしていた夫も手伝い始めたという。齋藤は、それを喜ぶ。
「アソンブロッソを全国に広めるためにも、まずは名古屋で儲けてもらいたいと思っていましたから。僕はデータをもらいながら、本格的にフランチャイズ展開するための勉強ができました」
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