「1日40万売る」フライドポテトベンチャーの正体 小学校教員→海外で飲食店勤務→北海道で起業

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「校内でも物議を醸すような強烈な先生で、まったく個性を認められなかったんです。僕はもともと従順ではなくて、周りに惑わされずに自分のやりたいことをやりたい性格だから、それが本当に苦手でした。それで、個性とか自由を認められる教師になろうと思ったんです」

齋藤は大学で中学校の理科、体育、小学校、養護学校の教員免許を取得した。しかし、教育実習で学校に行き、現実を知って早々に幻滅した。ほとんどの教師は右に倣えで、部活をしていたときと同じく、意見や主張は求められていなかった。

実習の間に「自分には向いてない」と実感した齋藤だが、教育大学だから同級生はほとんどが学校の教員になる。ほかの仕事をするイメージもわかず、「モラトリアムのような感覚で」、北海道教育大学の教職大学院に進学した。そこでも改めて「やっぱり向いてない」と確信した齋藤は、思い立った。

「海外に行こう!」

高校生のとき、アメリカの田舎町にある姉妹校に1カ月留学した。滞在中に現地の小学校を訪問する機会があり、日本とはまるで違う明るく伸び伸びとした雰囲気に興味を引かれた。留学生活も楽しかったから、それ以来、海外旅行に出かけるようになった。それで、海外で教師をやろうと考えたのだ。

その方法として、青年海外協力隊の「現職教員特別参加制度」がある。これは、教員として海外に赴任し、現地の学校で子どもたちに教えることができる制度だ。ただ、調べてみると「勤務2年以上の実務経験」という条件があった(現在は3年以上)。そこで齋藤は「2年だけやろう」と決めて、大学院で修士号を取得した2015年の春、公立小学校の教師になった。

「宿題なんかやらなくていい」

齋藤は、着任早々から現場の空気を乱した。子どもたちに「お前ら、宿題なんかやらなくていいから、好きなことやれよ!」と声をかけ始めたのだ。

ただ無頼に振る舞おうと思ったわけではない。世の中に目を向ければ、ビジネス界の大物も教育界の著名人も「自分の好きなことを見つけて、それを職業にしよう」と発信していた。齋藤もそこに共感し、子どもたちに「夢中になれるもの」に出会ってほしいと考えてのことだった。

意外なことに、同じ学校の同僚たちの間では「面白い若者が来た」程度の扱いで叱責されるようなことはなかった。子どもたちから「宿題をやらなくていい」と言っている教師がいると聞いた保護者から、「その先生は大丈夫なのか?」という電話が学校に何本か来たものの、クレーム殺到というほどでもなく、学校は想像していたより息苦しい職場ではなかった。

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