続いて挙げられるのが、オリンピック・パラリンピックというイベントの特殊性です。
そもそも、今回の場合、オリンピック・パラリンピックという「多様性の祭典に関わる重大な責任を背負っていたこと」が問題だったわけです。これが、単なる民間のイベントだったら、大ごとにはなっていなかったでしょう。
「女性活躍担当大臣が女性蔑視発言をする」といったように、「大義」を説くべき人間が、その理念とは逆行する言動をする。「まさに、その口で言う?」ということになってしまうわけです。
今回、この件が明るみに出て、ネット上で批判が巻き起こってからの謝罪となったわけですが、やはり「タイミング」としては「遅きに失した」と言わざるをえません。
これだけの批判が出ることが容易に想像できたはずで、なぜ、このギリギリのタイミングになったのか、理解に苦しみます。
今回の場合、小山田さんを起用した「組織委員会の責任」も非常に重いものです。なぜ、開幕直前まで人選について伏せていたのか、こうした反響が出ることは誰でもわかりそうなものなのに、あえて、火中の栗を拾う選択をした理由がさっぱりわかりません。
結果的に小山田さんを傷つける結果にもなったわけで、その「想像力の欠如」「見通しの甘さ」には開いた口がふさがりません。
「危機管理コミュニケーションの稚拙さ」が大きな課題
人間、誰しも完璧ではないし、過去の行いで、これからの未来をすべて否定されるべきではないでしょう。
一方で、こうした世の中の流れを読めば、「簡単に予見しえたリスク」が回避できなかった「日本の組織の『危機管理コミュニケーションの稚拙さ』」には「絶望感」を覚えずにはいられません。
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