精神科医が説く「人の失敗」を喜んでもいい理由 それくらいでは「人を見下す」うちには入らない

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【アドバイス】
口に出さなければまったく問題ありません

みなさん、まじめですよね。誰かが失敗したとき、内心ちょっとうれしい気持ちになることって、僕は、そんなに悪いことだとは思いません。

「だって、人の失敗を喜ぶなんてすごく心が狭いみたいで嫌じゃないですか」と反論が返ってきそうですね。たしかに、失敗は一緒に悲しみ成功は一緒に喜べるような器の広い人間が理想ではありますが、そう思えないことがあるのは別に普通のことです。

それに、「問題ない」と言い切れる超・重要ポイントがあるんです。それは「口に出してはいない」という点です。

「ざまあみろ」や「あなたが失敗してうれしい」なんて言葉、口に出したらたしかにアウトです。すごく嫌な人ですよね。でも、おそらくご相談者さんはそんなこと、しないですよ。

そもそもこういう相談をしてくるような「いい人」は、そんな意地悪なこと、絶対にしないんです。だったら、たまに人に対して意地悪な気持ちを抱くことくらい、自分に許してあげましょうよ。むしろ、そのような気持ちを抱くことで、人として心のバランスをとっているのではないでしょうか。

というのも、人間とは「あの人よりは自分のほうがマシ」「あいつよりは自分のほうがイケている」といった、よくも悪くも多少の比較をしながら自分の役割や価値を確かめて生きているものです。

もちろん、つねに「自分が絶対に上にいないと気がすまない」というのは傲慢ですし、その逆に「自分はいつも誰よりも下にいる」などと考えるのは卑下しすぎです。そもそも日常的に自分と人を比べてああだこうだと考えるのは不健全ですね。

「ときどき、内心で」心を健全に保つ技法としてアリ

ですが、自分の心を健全に保ったり前向きに勇気づけたりといった意味で、ときには心の中で誰かをちょっとバカにしてみたり意地悪してみたりすることは、“技法”としてアリですよ。

だって「内心」であれば誰のことも傷つけませんし、トラブルにもなりません。つまり、自分の心をヘルシーに保つ方法として、実は非常に秀逸で上級なやり方なのです。

「いい人」でいすぎるのも実はバランスが悪い。そんなわけで「ときどき、内心で」という条件が成立するのであれば、ご相談者さんのお悩みはまったく問題ないですよ、と僕は言ってあげたいです。

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