44歳で妻に先立たれた男「闘病記」に懸けた人生 1万冊集めたネット古書店がリアル文庫で残る

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とてつもない衝撃だった。予備校が最も多忙な時期だったが、それから頭の中を巡るのは光子さんのことばかり。術後2カ月経った頃から光子さんは足に痛みが出るようになり、医師から今度は「余命半年」と告げられた。絶えず心は不安定になり、仕事中いきなりシャープペンシルを机に突き刺して周囲を凍らせてしまったこともある。

その頃私は、職場で管理職の立場になっていた。しかし、妻のことを考えると頭が混乱し、何をしていいかもわからなくなり、言いようのない、理由のない怒りがこみ上げてきた。
(「闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと」より)

半年後も光子さんは必死に治療を続けていたが、1997年1月に力尽きる。44歳だった。

古書店ガイドを見て湧いたアイデア

葬儀や遺品の整理が終わった1997年2月、星野さんは予備校に辞表を提出する。40代の再就職は厳しいからと慰留してくれる同僚もいたが、最も忙しい時期に迷惑をかけた負い目があったし、少なくとも1年間は仕事をしないですごす腹積もりは固まっていた。

かといって何をする予定もなかった。そんなときにふと、手元にあった『古書店地図帖』(図書新聞)という古書店ガイドを見てアイデアが湧いた。

新書を扱う書店ではうまく闘病記が探せなかったが、ニッチな本でも在庫がとどまりやすい古書店ならたくさん見つかるのではないか。この世に乳がんの闘病記はどれほど存在するのか。1年かけて徹底的に探してみよう──。

それは光子さんとの死別の悲嘆と向き合う行為(グリーフワーク)だったのかもしれないし、冒頭の引用文にあるように「精神的に危ないのではないか」という危機感による衝動だったのかもしれない。いずれにしても、こうして星野さんの闘病記探しの日々は始まった。

最初の半年間は、『古書店地図帖』を片手に1日3~4軒のペースで自宅から遠くない範囲の古書店を回った。しかし、すでに閉店した店舗も多く、老舗店では新書店と同じように無名作家の闘病記がほとんど置いていなかった。運よく発見できるのも、たまに軒先の○円均一コーナーの中に埋もれているケースくらいだった。

状況を打破してくれたのは、気分転換に訪れた郊外型の全国チェーン店だ。神保町の古書店にあるような年代ものの本や自費出版本が大量に置いてあり、時代をさかのぼってさまざまな闘病記が見つけられた。

次ページ集めては追体験を繰り返す日々
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