そんな日々に異変が訪れたのは、2人とも40歳となった1993年の夏だった。寝室で真剣な表情の光子さんに促されて彼女の左胸を触ると「コリッとした塊」を感じたという。当時はがんに関する知識はほとんどなかったが、それでも瞬間的に乳がんという文字が脳裏をよぎった。すぐに病院で病理検査を受け、夫婦で聞いた診断結果は予想どおりのもの。光子さんは左乳房の切除手術を受けた。
告知を受けた次の休日、星野さんは光子さんに内緒で本の街・神保町に足を運んだ。とにかく乳がんに関する情報がほしい。医学書はさすがに理解するのが難しそうだ。ならば家庭向けで乳がんに関する本はないかと数軒ハシゴしたが、大型書店でも数冊しか見当たらない。役に立つ本もあったが、もっとたくさんの情報がほしい。そこで浮かんだのが闘病記というジャンルだ。
罹患した当事者や家族が1人称の視点で、治療や生活、心境などを語る。1人ひとり違うはずだが、そうした複数の視点がほしかった。
当時は大型書店にも「闘病記」のカテゴリーはなかった
しかし、当時は大型書店でも「闘病記」というカテゴリーは見かけなかったし、代わりに「エッセイ」や「日本文学」の棚に置かれていてもタイトルに病名がないと気づくのは難しかった。書名や内容で検索できる端末が置かれるのはもっと先のことだ。また、よほどの話題作でもない限りまもなく絶版になって棚から姿を消す事情もあったし、自費出版系の闘病記はそもそも取り扱いが限られていた。
結局見つけられたのは、ジャーナリスト・千葉敦子さんが著した『乳ガンなんかに敗けられない』(文春文庫/1987年)の1冊のみ。その後は、自著に「退院すると病気のことは忘れて、いつもの生活に戻ろうとした」とある。光子さんの症状が落ち着いたこともあり、普通の生活に送る心境になっていった。
その“いつもの生活”は2年過ぎた頃に打ち破られてしまう。
1995年12月、光子さんがうがいをしたら、たんに血が混じっていた。すぐに病院で検査を受けたところ、乳がんが肺に転移していると判明。翌月には左肺上葉の切除手術を受けたが、星野さんだけが診察室に呼ばれたとき、医師の口から「あと1年くらいかもしれない」という言葉が飛び出した。すでにほかの転移が起きている可能性があるという。
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