合計1250人逮捕した「名物刑事」の悔いなき人生

横浜のドヤ街・寿町で彼は今も生きている

日本3大ドヤの1つ「寿町」。昭和40年代半ばの寿町にひとりの名物刑事がいたという(写真:筆者提供)
東京の山谷、大阪の西成と並び称される「日本3大ドヤ」の1つ「寿町」。伊勢佐木町の隣町であり、寿町の向こう隣には、横浜中華街や横浜スタジアム、横浜元町がある。横浜の一等地である。
その寿町を6年にわたって取材し、全貌を明らかにしたノンフィクション、『寿町のひとびと』がこのほど上梓された。著者は『東京タクシードライバー』(新潮ドキュメント賞候補作)を描いた山田清機氏。寿町の住人、寿町で働く人、寿町の支援者らの人生を見つめた14話のうち、「第八話 刑事」から一部を抜粋・再構成し紹介する。

配属先

昭和46年、宮崎県からひとりの若者が上京して、横浜の本郷台にある神奈川県警察学校に入校した。

若者の名前は西村博文。宮崎県の県立高校を卒業した西村が警察官を目指したのは、『七人の刑事』(TBS)というテレビドラマの影響もあって、小学生の頃から将来は刑事になると固く心に決めていたからである。

警察学校で1年間学んだ西村は、昭和47年4月、伊勢佐木警察署の地域課に配属されることになった。およそ元辣腕刑事とは思えない温顔で、西村が言う。

「伊勢佐木町といえば有名な繁華街ですから楽しみにしていたんですけれど、配属されたのはなんと、寿町の交番だったのです。当時はともかく臭いがひどくて、ドヤ街なんて言葉も知りませんでしたから、横浜にこんな街があるのかってびっくりしましたね」

現在の寿町の名誉のために言っておくが、西村が語っているのはあくまでも昭和40年代半ばの寿町のことである。

寿福祉プラザ相談室発行の資料によれば、昭和45年当時、寿町には86軒のドヤがあり、総室数は5426室。しかし、西村の記憶では、当時の寿町の総人口は約1万4000人だったという。では、残りの約1万人はいったいどこで寝泊まりしていたのかといえば……。

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