合計1250人逮捕した「名物刑事」の悔いなき人生 横浜のドヤ街・寿町で彼は今も生きている

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命拾いをした西村が交番の中に戻った直後、遅ればせながら、伊勢佐木警察署の内勤の警官たちが駆けつけてきた。すでに暴徒の姿は跡形もない。応援部隊の第一声は、

「なんだ、なんでもないじゃないか」

であった。

命を張って寿町交番を守った西村は、いまでもこのひと言が忘れられない。だから現役時代、若い警察官たちをこう言って諭してきたという。

「現場に行ってみて、たとえなんでもなくても、110番を受けた以上は、『どうしましたか』って聞くんだぞ。そして、『困ったら、またいつでも電話してください』ってつけ加えるんだ。それが警察官の仕事だ」

寿町のひとびとの純朴さとヤクザの親分の侠気に西村が魅了されたのには、西村なりの背景があった。

宮崎の西村の実家は、貧しい農家だった。両親は一生懸命に働いていたが、農閑期になると父親は出稼ぎに出ざるをえなかった。九州からの出稼ぎ先は大阪か名古屋だ。大阪には釜ヶ崎があり、名古屋には笹島の寄場がある。

「親父も現場仕事をしていたから、寿町の人たちが親父とダブって見えたのかもしれません。どっかで歯車が狂っちゃって、故郷に帰りたくても帰れない寂しい人たちなんだから、大切に扱わなくちゃいけないと思っていたんです」

しかし、西村が寿町に魅了されたのは、寿町が人情味あふれる町だったという理由ばかりではなかった。

効率のいい釣り堀

西村の元に刑事課への異動の話が舞い込んだのは、寿町交番に勤務してちょうど2年が過ぎた頃だった。いくつかの偶然と幸運が重なって、西村は警察官を拝命してから2年と9カ月で、子どもの頃からの憧れだった刑事になることができたのである。

最初の配属先は、伊勢佐木警察署の刑事課一係である。ちなみに当時の刑事課の内部は、扱う事案によって以下のように区分されていた。

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