合計1250人逮捕した「名物刑事」の悔いなき人生 横浜のドヤ街・寿町で彼は今も生きている

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「当時の寿町には指名手配犯がたくさん逃げ込んでいたので、毎朝、共助課に行って、全国の指名手配犯の写真を何百枚って見るんです。『見当たり捜査』っていうんですが、指名手配写真を頭にたたき込んでから寿町に出かけていくと、写真とよく似た奴がその辺を歩いているわけです。そこでもう一度写真を確認してから、これは間違いないと思ったら声をかける。ほとんど百発百中でしたね」

どの部署からでも仕事を依頼できる機動捜査隊こそ西村のベストポジションだという幹部の判断もあって、西村は通算29年という長きにわたって機動捜査隊に勤務した。そして地道な努力の甲斐あって、県警の幹部に「寿町は西村しかいない」と言わしめる存在になったのである。

途中2年間だけ加賀町警察の盗犯係に配属されたが、機動捜査隊に復帰すると、ある幹部から「西さん、最後まで(退職するまで)寿町を頼む」と言われたそうである。

「たくさんの刑事がいる中で、この町はお前しかいないって言われるなんて、最高でしょう。刑事冥利に尽きますよ」

警察は実績主義である。学歴がなくても実績があれば昇進できる。そして、西村の実績はすさまじかった。

「私ね、合計1250人ぐらい逮捕したんです。多いときには、1年間で120人捕まえたこともあります。はっきりとは言えませんが、おそらく捕まえた人数としては、日本の刑事の中で1番じゃないかと思います」

それもこれも、見当たり捜査で百発百中の逮捕ができた、寿町という“釣り堀”のおかげだと言えなくもない。

交番勤務

ところが、刑事としてこれほどの実績を誇りながら、退職の数年前になって西村はいきなり機動捜査隊を外されてしまったのである。異動先はなんと、寿町交番であった。しかもその後、さらに小さなひとり勤務の交番に飛ばされている。一度、私服で仕事をした人間(刑事の経験者)が再び制服を着ることは珍しい。完全な左遷であった。

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