「ヒステリック上司」になっていないか 第6回 「べき論の境界線」を安定させるべき

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すべてが「正解」で「程度問題」

私たちが、自分の信じている「べき」が目の前で裏切られたときに怒りやすくなることをおわかりいただけたと思う。ならば、「べき論」の取り扱いを少し変えることができれば、私たちは怒りの感情をコントロールしやすくできそうだ。しかし、それはそうたやすいことでもない。なぜなら、私たちが持っている「べき論(価値観)」はすべてが「正解」で、すべてが「程度問題」といえるからだ。

 すべて正解とは、「少なくとも本人にとっては」正解なのである。例えば、クレーマーのAさんがいたとしよう。私たちはAさんに注意する。

 「Aさん、そんなにみっともないことはやめなよ。ゴネてばかりはよくないよ」。すると、Aさんはこう応える。

 「何を言っているんだ。ゴネるから得するんじゃないか、クレームは言うべきなんだ」と。つまり、Aさんにとって「クレームを言うべき」は正解なのである。

 次に、すべて程度問題について考えてみよう。例えば、私たち社会人は、「約束の時間は守るべき」という「べき論」を持っている。では、「明日の会議は9時に集合」と職場のメンバー全員で約束したとする。

 あなたがチームのトップだとして、その許容範囲は、「何時何分までに来るべき」であろうか? 人によっては8:45の人もいるだろうし、9:00ちょうどまでは許す人もいるであろう。また、5分や10分ぐらいの遅れなら構わないという寛容な人もいるかもしれない。「8:45までに来るべき」の人がトップの職場なら、8:55に来た人は怒られることになり、「9:05でも構わない」人がトップの職場なら、9:01に来ても許される。

 このように、社会人にはみな「時間は守るべき」という「べき」がありながら、上司によって「べき論(常識)」の「程度」が違うために、部下たちは混乱することがある。

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