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キャリア・教育 #あの日のジョブズは

ジョブズは私達を世界に繋ぎ孤独な存在にした 1人1台のコンピューターは全人類を覆う現実に

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「僕はジョブズと同時代に生きられたことを、誇りに思う」 WebブラウザーNetscapeの開発者。東京にて。 マーク・アンドリューセン 1995年5月10日(撮影:小平 尚典)

誰も必要とは思わなかったのに、ふと気づいたときには、これなしでは生きていけないとみんなが思ってしまう。そういうガジェットを作り上げることにかけて、ジョブズは並外れた才能をもっていた。この希有の才能を活かして、スマートフォンというそれまで存在しなかったものを形にしてしまった。

しかし彼がいなくなって9年、この画期的な発明もコモディティー化した。日用品として使えるものになり、現に南北、貧富、宗派を問わずみんなが使っている。多くの人にとって生きていくための最低限のインフラになっている。これほど人類が平等に使える機器は、歴史が始まってこのかた存在しなかったかもしれない。

20代のジョブズが描いた世界が現実に

20代のジョブズは「1人1台のコンピューター」というコンセプトのもとにパーソナル・コンピューターを構想し、それによって世界を変えるという夢を描いた。彼がパーソナル・コンピューターを構想したときから半世紀が過ぎようとしている。いま1人1台のコンピューターはポケットサイズの現実になっている。しかも惑星規模の、全人類を覆う現実になっている。

たしかに世界は変わった。いいほうへも悪いほうへも激しく、そして極端に変わった。テクノロジーによって世界が変わるとは、そういうことなのかもしれない。いまや解放は隷属を意味し、際限のない自由が際限のない管理や監禁と直結する。現実は1人ひとりのものになり、ともに生きるものではなくなった。他者が消え、出会いが失われた。つまり世界が失われたのだ。ヘーゲルやマルクスやサルトルが考えたような世界、人間が主体として働きかける世界というものは、もうなくなってしまった。

世界はどこへ行ったのか? どこにも行かずここにある。薄いスマートフォンやタブレットのなかに封入されて、手のひらの上で見渡せるものになっている。断片化し、スライス状になった平板なレイヤーとして無数に重なり合っている。それがぼくたちの「世界」だ。

だから世界は意味合いを変えたと言うべきかもしれない。ぼくたちはほとんど世界に同化している。200グラム足らずのガジェットのなかで世界と1つに溶け合っている、という意味で世界を失ったのだ。同時に、それは自己を失うことでもあるのかもしれない。いまや「自己」は世界と同じサイズにまで肥大し、拡散している。

(第12回=最終回に続く)

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