ジョブズのなかにも自分が変わるという要素はなかった。自分が変わる代わりに世界や他人を変えようとした。容易に変わらないときには「現実歪曲フィールド」を使った。いまやそれは万人のものになっている。誰もが恣意的に歪曲できる自分だけの「現実」を生きている。ある意味、ジョブズは先駆的だったとも言える。
ジョブズを評するのに「ヴィジョナリー」という言葉がよく使われる。未知なるものを可視化するヴィジョンをもっていたということだろう。パーソナル・コンピューターの可能性にいち早く着目し、「コンピューターが1人1台の世界になれば何かが変わる、10人に1台の世界とはまったく違ったものになる」と言って、実際に世界を変えてしまった。デジタル・ハブやクラウド・コンピューティングの構想を最初に打ち出したのも、ジョブズと彼の会社だ。そうしてコンピューティングのあり方を異次元のものにしてしまった。
ジョブズが説いた「未知なる未来」
1960年代のドラッグ・カルチャーから生まれたパーソナル・コンピューターは、最初から多分に現実逃避的な面をもっていた。それから半世紀以上が過ぎたいま、現実は逃避されるものですらない。失われたのである。人がともに生きる現実は失われている。1人ひとりの現実が個別に70数億あるといってもいいけれど、それは現実とは別のものだろう。
かつてジョブズは「コンピューターの向こうに未知なる未来がある」と言って新しい宗教を説きはじめた。「誰もがコンピューターに触れることによって未知と未来にアクセスできる」と説いて「アップル」という宗派を興した。そうして時代がひとまわりし、誰もがジョブズと同じ孤独の惑星の住人になった。いまやジョブズが生きた彼の世界は、ぼくたちの日常となり世界を覆っている。
ツイッターやフェイスブックのようなSNSを利用するとき、あるいはグーグルで検索したりアマゾンで買い物をしたりするとき、ぼくたちは「自分が世界の中心」という感覚を味わっている。世界中の人や情報やコンテンツが、デジタル化を経てネットワークによってつながっており、瞬時にデスクや手のひらの上に取り寄せることができる。アマゾンで音楽や映画や電子本などのデジタル・コンテンツを注文するときは、文字どおりワン・クリックだ。それはLSDなどによってもたらされる全能感に近いのかもしれない。