“米国製理系エリート”のキャリアパスとは 「グローバル人材」たちの苦労と葛藤(1)

✎ 1〜 ✎ 16 ✎ 17 ✎ 18 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

週2日は大学の研究室へ、週3日はベンチャーで働く

だが、すぐにベンチャー企業の社員としてバイオインフォマティクスをやることに限界を感じ始めた。バイオインフォマティクス、とりわけゲノム解析の分野は非常に進歩が早く、日々、研究者たちとディスカッションをし、勉強をしなくては、すぐに取り残されてしまうという危機感があった。そこで彼は「恥を忍んで」東大時代の先生を再び訪ね、パートタイムで研究室に入れてもらった。週2日は大学の研究室で勉強と研究をし、週3日はベンチャーで働く、という生活だった。

ほどなくして転機が訪れた。東北の震災復興の一環として、東北大学と岩手医科大学が中心となって東北に次世代医療拠点を作るプロジェクトを始めたのだ。そのために、成相さんの東大時代の先輩がわずか37歳にして教授として東北大学に引き抜かれた。彼の研究室の助教にならないかと、成相さんに声がかかったのだ。

次世代シーケンサー

東北大学は次世代シーケンサーを多数保有しており、この分野においてこれほど恵まれた研究環境があるのは日本でここだけだった。こんな機会はなかなかあるものではないと思い、彼はベンチャーを辞め、再びアカデミアの世界に戻った。

給料は外資系金融に勤めていた頃の半分以下だそうだ。だが、彼の言葉には微塵の後悔も感じない。彼はやはりITが好きで、自分の好きなことを毎日やりつつ、その仕事が将来、大きく社会の役に立つだろうことを考えると、「やっぱり、やっててよかったな」と思うそうだ。

次ページ柔道と旅行が好きな博士学生は、シンガポールの大学教員に
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事