外資系金融から、ベンチャー経営、そして大学教員へ
僕は渡米直前にフルブライト・ジャパンの「渡米前オリエンテーション」という催しに参加した。
この催しでありがたかったのは、そこで同時期にボストンに留学する人たちと出会えたことだった。彼らとは現在に至るまでかけがえのない友人となった。
そのひとりの成相直樹さんは、東大の修士を終え、ボストン大学 (BU)のバイオインフォマティクスの大学院に留学する人だった。
ゆっくり、ぼそぼそとした話し方が特徴的で、話すスピードはいかなる感情のときもメトロノームのように一定である。そのくせ、時にレーザー光線のように鋭い点を突いたり、また時にセンスのいいジョークを言ったりするから、なおさら面白い。
とても親しみやすい人で、僕よりも歳が2つ上なのだが、いつの間にかタメ口で話す仲になっていた。
彼が東京大学に入学した頃はITバブル真っ盛りで、彼も将来はITベンチャーをやりたいと思っていた。だから腕を磨くためにIT企業でプログラマーのアルバイトをし、その仕事に没頭した。だが、確かにコンピュータ自体は好きだったが、ゲームを作ったり、商品販売のホームページを作ったりすることには興味を持てず、また意義を見出せなかった。彼はもっと意味のあることをしたいと思った。
ちょうどこの頃、バイオインフォマティクスという新しい分野が興隆しつつあった。コンピュータを用いて生物学における大規模なデータの処理や解析を行う学問分野である。
ITのスキルを生かせるうえに、医療において革命をもたらす可能性を持ったこの学問に惹かれ、「意味のある」ことを探していた成相さんは、これをやるしかない、と思ったそうだ。大学4年でバイオインフォマティクスの研究室に入り、そのまま修士課程に進んだ。
だが、黎明期だった当時のバイオインフォマティクスの世界においては、その発祥の地であるアメリカの優位は圧倒的だった。技術も、ノウハウも、研究者も、すべてがアメリカに集まっていた。アメリカに行くしかしょうがない、と彼は思った。中でもBUは世界に先駆けてバイオインフォマティクスを専門とする課程を作った大学だった。彼はBUに行くことに決めた。
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