メンターの作り方、メンターとの付き合い方《ハリウッド・フィルムスクール研修記12・最終回》

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組織や会社の壁を超えたメンター作りを

私が通う大学院はまさに「メンター制度」を中心に運営されています。映画というヒットの予測が見えづらい業界だからこそ、一方的な講義ではなく、学生が作る映画やビジネスプランを基にメンターと意見を交わしたり、逆にメンターの過去の成功体験(時には失敗体験)について学生が質問するというコミュニケーションがプログラムの核になっています。

授業中に質問を呼びかけても一人も手が挙がらない日本の風土にこのような制度はなじまない、と考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、過去・歴史をひもとけば、日本でも「メンター」が重要な役割を果たした時代があったように感じます。

幕末時にはジョン万次郎、佐久間象山、吉田松陰といった人物が組織(藩)や身分の上下にかかわらず、訪ねてくる有象無象の若者たちと対話し、その中から明治維新を担う人物が育っていったのではないでしょうか。

一方的なレクチャーや、軍隊的なルールの刷り込みだけでは答えが得られない時代に必要なものは、意見を交わし、時に戦わせ、その中から発見を得られるメンターの存在ではないだろうか。私はそう考えています。

さて、12回にわたってお送りしてきたこの研修記も、今回が最後となりました。残り半年の留学生活では、これまで以上にハリウッドでのネットワーク作りとエンタテインメント・ビジネス知識の吸収に充てて過ごしていきたいと思っています。長らくのご閲読ありがとうございました。

木野下 有市 (きのした・ゆういち)
 1980 年生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、広告会社にて大手飲料・製薬メーカーの広告キャンペーン等を担当。2008 年8 月よりアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI/米国映画協会)大学院にて映画プロデュースを専攻。ギャガ会長・東京国際映画祭チェアマン依田巽氏の寄付で設立されたAFIの奨学金を受け、芸術学修士の取得を目指して勉強中。

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