このCMのなかで、ジョブズはIBMをオーウェルの小説に登場するビッグ・ブラザーになぞらえている。彼らにコンピューターの寡占状態を許せば、やがてはコンピューターが独裁者のように人々を支配するようになるというわけだ。当時のヒッピーやカウンター・カルチャー側のコンピューターに対するイメージも、ジョブズが作ったCMに近いものだったかもしれない。要するにコンピューターとは官僚的管理のためのツール、中央集権の権化と考えられていた。
こうしたコンピューターに対する意識が1970年代にさしかかるころからが変わりはじめる。マイクロ・プロセッサーが小型化し安くなってきたことで、アマチュア無線やラジオの愛好家たちのなかから、自分で組み立てたコンピューターを使ってプログラムを書くことに熱中する者が出てくる。スティーブ・ウォズニアックもその1人だった。
あるインタビューで彼は新しい表現手段を見つけたようだったと語っている。自分を表現するための新しい言語としてのプログラム言語。マイクロ・プロセッサーの登場によって、社会的地位とは縁遠い人たちが世の中に対して力をもてる可能性が出てきた。
1960年代に生まれた「パワー・トゥ・ザ・ピープル」という反体制的なスローガンは、平和運動や新左翼の政治運動としては1968年の「サマー・オブ・ラブ」あたりをピークに終息へ向かう。ヒッピーや反戦運動家にかわり、個人の表現と解放を象徴するものとしてコンピューティングをとらえる人たちが出てくる。
人々に力をもたらす1つの可能性として
人々に力をもたらしてくれるのは何か? 1つの可能性としてパーソナル・コンピューターがあった。それは個人が力を得るチャンスをもたらしてくれる。こうしてコンピューターはスチュアート・ブランドやケン・キージーのようなカウンター・カルチャー側の人たちのなかにも浸透していき、個人の表現や解放のシンボルとしてとらえられていく。
そこにカウンター・カルチャーとはもともと相性の良かったドラッグが結び付く。ジョブズが一時在籍していたリード大学で訓戒を垂れたティモシー・リアリーが、このころになるとパーソナル・コンピューターを新種のLSDとみなし「ターン・オン(スイッチオン)、ブート・アップ(起動)、ジャック・イン(仕事を放棄しろ)」と宣言するようになる。困った人だが、潮目を見る目は冴えていた。たしかに初期のパーソナル・コンピューターの開発は、LSDによってもたらされる効果をコンピューターで置き換えようとする試みでもあった。シリコン・バレーとヘイト・アシュベリーが少しずつつながりはじめる。
(第7回へ続く)
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